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昭和プロレス懐古 & 現代プロレスの原点ランカシャー・レスリング
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「山猫」時代のキニスキー
昭和のプロレスファンにとって、ジン・キニスキーといえば、豊登、馬場、猪木、鶴田と激闘を繰り広げた大レスラーというイメージか強い。 1928年11月生まれで、1964年春のワールド大リーグ戦に初来日した時点で三十台の半ば。写真からもその貫禄と、超一流のオーラが伝わってきた。リ...
Satom
4月18日読了時間: 6分
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ザ・シークというアジール
「モノの怪に憑かれたように中空を睨みます、ザ・シーク」 清水アナウンサーの落ち着いた実況がホノルルの名会場HICのリングに向かって響く…1972年9月20日、日本テレビの海外収録試合。全日本プロレス旗揚げを翌月に控えたデモンストレーションとして、リング上で睨み合うG馬場とザ...
Satom
4月4日読了時間: 8分
閲覧数:25回
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リアル・ブロンコバスター
前回の続きで、不慮の自動車事故によりルー・テーズとの世界統一戦のチャンスを失った悲運のレスラー、オービル・ブラウンについて書こうと思う。(尚ブラウンの経歴については、米国のプロレス歴史家・Steve Yohe氏の手記に負っていることを、予めお断りしておきたい)...
Satom
3月28日読了時間: 8分
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☆アントニオ猪木が”環状線の理論”を実証したシリーズ
昭和49年1月25日、大阪府立体育会館・控室至 アントニオ猪木は「環状線の理論」を提唱していました。 環状線の中のコアなプロレスファンだけでなく、その外側にいる一般市民達を引き込むことがプロレスを盛り上げるのには必要だという集客理論で、古くは1973年11月5日、新日本プロ...
Toshiyuki Fujii
3月17日読了時間: 7分
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「赤いベルト」と新王者
赤いベルトといっても、全女の話しではない。 前回ご紹介した「フライング・メア・ランチ」におけるアクシデントの煽りをくい、NWA世界王座への道のりを若干狂わされたジャック・ブリスコだったが、当初の予定から四ヶ月半後の1973年7月20日、ヒューストン・コロシアムでハーリー・レ...
Satom
3月7日読了時間: 4分
閲覧数:45回
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事故が変えたタイトル史
車社会と言われるアメリカでは、その分交通事故の数も多い。表題に付けた、プロレス史を変える程のインパクトのある自動車事故として最も有名なのは、第二次大戦から数年を経た1949年、オーヴィル・ブラウンが遭遇したものだろう。ルー・テーズとの世界王座統一戦を直後に控えていたブラウン...
Satom
2月28日読了時間: 7分
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真冬のNWA総会(続)
表題とは全く無関係の書き出しになってしまうが 先月の大相撲初場所において、12勝3敗の成績で優勝した大関豊昇龍の横綱昇進が決定した。 直近三場所の合計勝ち星が33勝という事で、大関昇進には合格ラインながら、こと横綱昇進となるといかがなものかという意見が相撲協会審判部内でも...
Satom
2月7日読了時間: 10分
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続・ジャイアント台風
新春・馬場シリーズの三回目は、「たられば」の話しをさせて頂く。もし力道山があのタイミングで世を去っていなければ、その後の日米マット事情はどのように推移していたか…?である。 まず「力道山が存命であれば起こらなかっただろう」ことについて、ランダムに挙げてみたい。...
Satom
1月17日読了時間: 7分
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力道山の師匠(後篇)
「入門から敗戦時までの力道山は、とても素直でいい子で稽古熱心だった。だが敗戦後は気持ちが変わったのか、性格は一変した」 岡村正史氏の著作「力道山」の冒頭に登場する、玉ノ海の述懐である。半島から船で渡って来た 力道山を下関で出迎え、親方付けの直弟子として一から育て上げた師匠の...
Satom
2024年12月27日読了時間: 6分
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TEL: (075)285-2403 (WWPクラブ)
〒607-8341 京都市山科区西野今屋敷町27-6
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