top of page

​昭和プロレス懐古 & 現代プロレスの原点ランカシャー・レスリング

Weekly

ほぼ

​週刊 昭和プロレス

Since 2024

伝昭プロジェクト
特別価格
0円
Satom

ファンク王国で勃発した全日-新日代理戦争

更新日:10月28日

かつてのゴング誌なら☝️こんな見出しをつけて巻頭カラーで報じていたかもしれない。


1975年の日本マット掉尾を飾ったシリーズと言えば、猪木-ロビンソンの初対決を目玉とした闘魂シリーズとオープン選手権だが、共に来日直前のジュニアとロビンソンのシングル戦のニュースが当時日本のファンの耳に入っていれば、相当な話題を呼んでいたことだろう。


一方意外なことに、ジュニアの地元のアマリロではこの試合を大々的にプロモートした様子が見られない。カバーの新聞広告は1975年11月26日付けAmarillo Globe Timesからの抜粋で、翌27日

アマリロ・スポーツ・アリーナにおける定期戦のカードを紹介しているが、写真で見る限りメインは16選手参加のバトルロイヤルで、ジュニア-ロビンソンのシングル戦はセミファイナルの一つ前、第5試合にラインナップされている。日本のファンの感覚からすれば、両者の対決が鉄板のメインに据えられて然るべきところだが、所変わればファンの嗜好も変わるという事か、何か釈然としない思いが残る。

肝心の試合結果だが、24分47秒、ダブルカウントアウトで引き分けている。(おそらく場外ではなくリング内でダブルKOか)この日のカードはメインのバトルロイヤルを入れると全7試合。当日試合順が入れ替わり、二人の対決は6試合目に組まれた。バトルロイヤルはスコット・ケイシーが優勝しているが、ここはバトルを削っても両雄の試合をじっくり堪能したかったところである。


ロビンソンがアマリロ地区のサーキットに入ったのは11月18日のオデッサ大会からで、前日はMSGにスポット参戦しジョニー・ロッズと対戦。その前はCWF(フロリダ地区)とAWAに交互に参加するなど、全盛期のアンドレ・ザ・ジャイアントを彷彿とさせるような、特定のテリトリーに縛られないサーキットぶりであった。ちなみにCWFのオーランド大会(11/3)ではボブ・ループを、AWAのウィニペグ大会(11/13)では、翌月バーン・ガニアに勝って戴冠する直前のニックを、それぞれ破っている。


アマリロ地区に話しを戻すと、29日のプエブロ(コロラド州)まで、バトルロイヤル2試合を除き11試合に出場(シングル9、タッグ2)しているがジュニアとは上述の1試合のみ。それ以外のシングルマッチの対戦相手は、前回触れたスコット・ケイシー(2試合)、スーパー・デストロイヤー(アート・ネルソン)、ダン・バーディック(2)、ランディ・ブリューワー(2)、ランディ・タイラーなどで、この時期同地区をサーキットしていたフランク・グーディッシュとの対決は実現していない。


月が替り12月に入ると両者は相次いで来日、冒頭に記した通り暮れの全日、新日マットを大いに沸かせた。


オープン選手権でのジュニアは優勝こそ逃したが馬場には回転エビ固めでフォール勝ち、ラッシャー木村からもピンフォールを奪っている。

日本の二団体のエースを降したジュニアの印象は際立っており、NWA王者時代を別にすると、最も充実した来日であった。


開幕戦でのブッチャー戦、シリーズ終盤のホースト・ホフマン戦における好試合も注目を集め、ラフ良し、テクニック良しというオールラウンドな試合振りは、悠然たる風格、貫禄とも相まって、まさに無冠の第一人者たる雰囲気を醸し出していた。


約一年後にゴングが掲載したレスラーランキングで世界一位に選ばれたジュニアだが、このオープン選手権で見せた活躍や、翌76年の夏にカンザスで実現したアンドレ戦の印象が大きく寄与していたと思われる。


一方のロビンソンは、来日第一戦となる12月4日大阪府立体育会館でストロング小林と対戦、勝利はおさめたものの、試合中に古傷の左膝を痛めてしまう。前年の国際プロレスへの来日あたりから膝には常時サポーターが巻かれるようになっていたがこの小林戦での負傷はかなり重かったようで一週間後の猪木戦でのコンディションもベストには程遠かった事が伺える。それでも超満員の館内を沸かせ、時間切れ一杯までファンの心を掴んで離さないプロとしての技量はやはり超一流という他はない。


ロビンソンの新日参戦は、ご存知の通りこの一回のみとなり、翌年からは全日本プロレスに主戦場を変えていく。ジュニアとの日本での初対決は

二年後のオープン・タッグ選手権で実現したが、

こちらも一回きりで、全日マットで再戦が組まれることはなかった。


レスラーの評価というのは、時と場所によって変化するのが常だが、少なくとも1975年の日本におけるイメージからすると、猪木、ロビンソン、ジュニアは実力三傑と呼ぶに相応しい存在であった。年齢、円熟味、肉体的なコンディションという観点から見ても、試合を組むにはほぼ最高のタイミングであったろう。


日本での日程を終えたロビンソンは、AWAのシカゴ大会(12/13 インターナショナル・アンフィシアター)に直行した後、フロリダ地区に戻り、数ヶ月間定着する。同地区ではテリー・ファンクがジャック・ブリスコを破ってNWAの新チャンピオンとなったばかりで、カード編成も大きく変容する時期を迎えていた。次回は新年早々実現したロビンソンのテリーへの初挑戦、及び全日本参戦に至るまでの足取りについて触れたいと思う。


*試合記録はいずれもwrestlingdata.comから引用

閲覧数:18回0件のコメント

最新記事

すべて表示

WWA史外伝

Comments


お問い合わせ先

​伝昭プロジェクト

TEL: (075)285-2403  (WWPクラブ) 

〒607-8341 京都市山科区西野今屋敷町27-6

bottom of page