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新・ライレージムへの道「10年ぶりの聖地」


“聖地” The Snake Pit Wigan
“聖地” The Snake Pit Wigan

2025年10月、私は10年ぶりにイギリス・ウィガンの地を訪れた。


前回訪れたのは2015年。世界的なパンデミック、そして個人的な事情も重なり、長い間この地から遠ざかっていた。


1993年に初めてウィガンを訪れて以来、これほどの長期間足が遠のいたことはなかった。


今回の訪問は、スネークピット・キャッチ・レスリング世界大会の開催時期に合わせたものだった。長年ライレージム京都で練習をしており、ライト級で出場する中嶋選手のお陰で、私はセコンドとして同行することになった。


彼は現在、「皇子山MMA」を運営する現役MMAファイターである。約10年にわたり私のもとでレスリングを学び、昨年の大会ではフェザー級で見事3位に入賞した。今年はさらなる高みを目指しての再挑戦である。


しかし、私にとって今回の旅の大きな目的はもう一つあった。

それは、ロイ・ウッド先生に会うこと。


マンチェスター空港から列車に揺られ、懐かしいウィガン駅に降り立つ。ホームで迎えてくれた先生は82歳になっていた。

10年という歳月を感じさせる変化はあった。しかし、その表情や声には変わらぬ力強さがあり、元気な姿を見て安心した。


街並みは以前とは少し変わっていた。店も入れ替わり、時代の流れを感じる。

それでも、街を離れ、ジムへ向かう道を進むにつれて景色は少しずつ昔へ戻っていく。

かつてのランニングコース、自転車で通った道。毎日のように見ていた風景。

ジムに近づくほどに、長期滞在していた1990年代の記憶が蘇ってきた。


昼前に先生の家に着いて昼食を取り、すぐに爆睡した。イギリスに来ると、毎回こうなる。

日本の家を出てから24時間以上経っており、飛行機では熟睡できないので、こちらに着くとまず寝なければならない。


1990年代なら、それでも夕方になるとたたき起こされて、すぐに練習であったが、さすがにもうそんなことはなかった。


しかし、夜の練習が終わる頃に目覚めて、久しぶりにジムを訪れた。そこには懐かしい顔があった。


特に驚いたのは、私より6歳年上の仲間が、60歳になった今も時折練習をしていると聞いたことだった。彼とはお互い20代の頃、一緒に汗を流した仲である。

十数年前、彼が50歳目前、私が40代前半だった頃にも、「まだスパーリングしてるの?」とお互い言いながら組み合ったことがあった。

今回は実現しなかったが、次に来るときはぜひもう一度マットの上で向かい合いたい。


練習後は、その彼と先生と共にパブへ向かった。

1990年代のイギリスのパブは、夜遅くまで人々で賑わい、活気に満ちていた。私はアルコールは飲めないが、ビールを飲み続ける先生から、延々とレスリングの話を聞いたものである。しかし、2000年代以降はパブ営業に関する法令が厳格化されていき、当時とは雰囲気がずいぶん変わった気がする。

先生とパブにて
先生とパブにて

翌日は昼からジムへ向かった。


中嶋選手、そしてライレージム京都にも何度もイギリスから練習に来てくれているRikkさんと共にマットに上がった。


もちろん先生も指導してくれた。普段は穏やかな先生だが、マットに立つと目つきが変わる。82歳になった今でも、自ら技を見せようとする。その姿を見ていると、「さすがにもう危ないのでやめてください」と心配になるが、レスリングへの情熱は昔と何一つ変わっていない。

10年ぶりにこのマットに帰ってきた
10年ぶりにこのマットに帰ってきた

そして、何より感慨深かったのは、聖地で三人そろって練習できたことだった。

Rikkさんは、スネークピット・ウィガンと、その支部であるライレージム京都を結ぶ架け橋となってくれている存在である。彼がいなければ、中嶋選手の世界大会出場もなかったかもしれない。

スネーク・ピット・ウィガンのRikkさん、中嶋選手と
スネーク・ピット・ウィガンのRikkさん、中嶋選手と

金曜日の夜にはキッズ大会が開催された。ウィガンからだけでなく、遠方からも多くの参加があり、幼い子供から年長の選手まで、マットの上で真剣な眼差しで戦っていた。

試合はフリースタイルのルールだったが、その中には今もなおウィガン独特の技術が息づいていた。ビリー・ライレーから受け継がれてきた技術と精神は、確かに今もここにある。


そして、この日もう一つ印象的だったことがあった。

レフェリーの一人が病欠したため、Rikkさんが何十試合ものレフェリングを一人でこなしていたのだ。観客の目はどうしても選手に向かう。しかし大会は、こうした裏方の支えがあって初めて成り立つ。


レフェリー、運営スタッフ、ボランティア。彼らの献身なくしてレスリング文化は続かない。ロイ・ウッド先生をはじめ、多くの人々が何十年にもわたってレスリングの灯を絶やさぬよう努力を重ねてきた。


1970年代後半、プロレス界の変化によって“蛇の穴”ビリー・ライレー・ジムでのプロ選手の練習は減少した。


しかし、その後に始まった子供たちへの指導は途切れることなく続き、多くの全英チャンピオンを育て上げてきた。派手さはなくなっても、世間の関心が薄れても、積み重ねていくことが伝統なのだと思う。


次回は、キャッチ・レスリング世界大会の様子を、なるべく期間を開けずにお届けしたいと思います!

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