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執筆者の写真Toshiyuki Fujii

知られざる日本初登場前のタイガー・ジエット・シンの戦績 Part2:伴侶とともに再びトロントへ


1969年3月、祖国インドに凱旋帰国したシンは郷土の人々より熱烈歓迎を受ける。

1970年2月両親の紹介でお見合いをしたシンは3月には16歳のスクゥジットさんとスピード結婚。そして奥様を伴って再びトロントに足を踏み入れる。前回において既にこの地で輝かしい実績を残しているシンにとっては約2年弱のブランクもすぐ取り返せるという自信にみなぎっていたろう。

記録では1970年12月6日、メープルリーフ・ガーデンズにおいて対マイク・ロレンを1分30秒で倒すことからセカンド・ステージがスタートした。

1971年1月から試合数も増やし、忘れさられていたファンの目に、自らのファイトで再びその雄姿の存在を植え付けてゆく。対ドン・ファーゴ、キラー・テイム・ブルックス、ハンク・ジエームス、ブル・ジョンソン、エリック・ザ・レッドらと熱い闘いを続けるシンの前に遂にあの”アラビアの怪人”ことザ・シークが登場。2月21日メープルリーフ・ガーデンズで初シングル戦が行われた。惜しくもタイトル奪取はならなかったが壮絶な試合となり因縁が勃発。その後、アメリカのオハイオ地区にも足を延ばすようになったシンは3月、ミツ荒川&ヨシノサトこと高千穂明久組と対戦しているデーターも残っている。


アラビアの怪人ことザ・シークとの抗争はカナダや北米のファンを熱狂させた。



その後も地元ではザ・シークとの抗争が激化、テキサス・デスマッチなどあらゆる試合形式で観客を煽り、いつもメープルリーフ・ガーデンズをフルハウスにする黄金カードとなる。

ただシンの子供たちは血だらけになって帰ってくる父の姿をみるのが辛かったそうだ。

4月からはオーストラリアに発遠征。新たな敵であるトニー・ガレア、スパイロス・アリオン、キング・カーチス・イヤウケアらNWA主流派のレスラー達と対戦している。

中でも“アナコンダ殺法”のマーク・ルーインとのシングルマッチがオーストラリアの人々を熱狂させた。7月にはデトロイト・トロント地区に舞い戻りザ・ストンパー、クリス・トロスらと対戦 又、タッグではアメリカはジャクソンにおいて当時の名タッグプレーヤーであるザ・カンガルーズ(ドン・ケント&アル・コステロ組)やクリーブランドにおいてザ・モンゴルズ(ジート&べポ)との対戦記録も注目される。




アナコンダ殺法ことマーク・ルーイン  ギリシアの新星ことスパイロス・アリオン


1971年8月30日にはタロー・サクローとも対戦、そうかって猪木がトーキョー・トムとしてテキサス地区を転戦中に若きドリー・ファンク・ジュニアと対戦していたのではと噂されたのであるが、後に同姓同名のフィリピンレスラーであるレイ・アルバーノと判明したレスラーである。

10月に入るとデトロイトとトロントを又にかけザ・シークとの抗争が激化しインデイアン・デスマッチなどさらにエキサイトした試合形式での決着戦が行われている。11月には再びオーストラリア遠征でマリオ・ミラノやヘイスタック・カルホーンとの異色対決が実現している。年明けもオーストラリアでスタート、NWA系の大物ワフー・マクダニエルと注目の対決も実現。又タッグ戦ではタッグ・パートナーとしてキラー・カール・コックスの名前が注目される。

7月にはボブ・ループやサンダーボルト・パターソンも参戦しまさにNWAの主流派的存であったのだ。この頃プロモーターであるジム・バーネットと香港やシンガポールなど東南アジアへ短期遠征も行っていたようだ。

7月に長期オーストラリア遠征から帰って来たシンは再びデトロイト地区、トロント地区で行動を開始、トロントではラリー・ヘニングやハンス・シュミットと対戦。デトロイトでは1972年7月29日、ヨシノサト(高千穂明久)とシングルで対戦、勝者無き試合と記録されている。10月には3度目のオーストラリア遠征へ、今回は12月には早々と地元にトンボ返り、年も押し詰まった12月28日メープルリーフ・ガーデンズで遺恨渦巻くザ・シークと対戦し両者失格の判定という大乱撃戦を行い地元のヒーローとして大活躍している。

そして運命の1973年を地元で迎える。シークとの抗争を中心にインド人コミュニティー達のヒーローとして活躍し、1973年4月29日メープルリーフ・ガーデンズにおいて11分1秒でマイテイ・アトラスを破り意気揚々と日本初遠征への準備をスタート。

運命の5月4日を迎えることになる。

必ず日本で成功させるのだという強い意志のもと真の外人ヒールレスラーとしてアントニオ猪木との血で血を争う闘いの中、確固たる地位を収め新日本プロレスに活況をもたらしたのだ。

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