赤いベルトといっても、全女の話しではない。
前回ご紹介した「フライング・メア・ランチ」におけるアクシデントの煽りをくい、NWA世界王座への道のりを若干狂わされたジャック・ブリスコだったが、当初の予定から四ヶ月半後の1973年7月20日、ヒューストン・コロシアムでハーリー・レイスを破って念願のベルトを奪取する。
在位期間は、途中短期間の王座転落を挟んで、約二年半。1970年代の約1/4の間、栄光のベルトはブリスコの腰に巻かれていた。
ベルトと言えば、上述のヒューストンにおける試合の前に、リング上で赤いベルベットに彩られた新型ベルトがお披露目されている。当日「引退」した旧いベルトは、オコーナー以降、ロジャース、テーズ、キニスキー、ファンク・ジュニアへ連綿と引き継がれた、黒革の流線型で重厚な造りだったが、新しいベルトはそこから更に十数年に渡り「最強の象徴」として歴代チャンピオンの腰に巻かれる事になる。後に「レイス・ベルト」とも「テン・パウンズ・オブ・ゴールド」とも呼ばれ、日本のファンにも最も馴染み深かったと思われるこのベルトだが、この日、ヒューストンのリング上に限っては、レイスは試合前に新ベルトを両手で携えたまでに留まった。

従ってこの有名なベルトを、初めて腰に巻いたNWAチャンピオンはブリスコ、という事になる。
赤いベルベットで装丁されたベルトは新チャンピオンの腰によく似合っていた。翌年の1月、全日本が開催した新春NWAチャンピオンシリーズに参加した際にもこの赤いベルトを持参していたが、その年の暮れに再びチャンピオンとして来日した時には、ベルトの生地はベルベットではなく黒革に変わっていた。ジャイアント馬場が、日本人として初めて手中に収めたのは、この黒革のベルトである。
つまり「最強の象徴」たる「赤いベルト」を保持したのは、NWAの長い歴史の中でブリスコ唯一人
…。通称「レイス・ベルト」だが、この赤ベルトに限っては、「ブリスコ・ベルト」とでも呼びたくなる代物であった。


ヒューストンのリングで、レイスを降して決勝のフォールを奪ったのは、ロープの反動を利用したフライング・ボディ・シザース・ドロップ、別名「テーズ・プレス」だった。ブリスコ自身、少年時代から憧れていたルーテーズに敬意を表して、三本目のフィニッシュにテーズの得意技を選んだ、と回想している。*1)
タイトル奪取の翌日、アトランタのTVマッチでジェリー・オーツとノンタイトルで対戦*2)した
ブリスコは、7月23日オーランドで初防衛戦に臨むが、その時の相手が誰あろうルー・テーズであった。これはブリスコ本人が希望したものか
プロモーターのエディ・グラハムの演出であったのか定かではないが、その後2年半に及ぶ王座在位期間のスタートを飾る挑戦者としては、ベストな人選かと思われる。

次回は、真新しいベルトを引っ提げたブリスコが繰り広げた一連の戦いについて、当時の新聞記事・広告・記録等から追っていきたいと思う。
*1) 「BRISCO」as told to William Murdock p146
*2)上記の「自伝」にはタイトル奪取の翌日アト
ランタで対戦した相手はボブ・バックランド
と記されている(p154)が、記録の上では
確認できなかった。
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