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運命のシンクロ

唐突な出だしで恐縮ながら「量子もつれ」という言葉の意味について、年末に少し考える機会があった。たまたまTVで放送していた番組で紹介されていたのだが、遠く離れた二つの量子の間に

不思議なシンクロが生じる事を指していう言葉だそうである。


かつてアインシュタインが「そんなオカルトめいた事は起こり得ない」と否定した現象が、九十年近い時を経て、ノーベル物理学賞受賞という形で正式に認められる、という壮大な流れはさすがに見応えがあった。


ここからは、私の脳内のもつれがもたらす妄想になるが、番組が終わって頭に浮かんだのが何故かBIコンビだった。というのも、馬場と猪木という二人の巨大なカリスマの間に、窺い知れぬ運命の相関があったのだという思いを、同じく先月末に読んだ一冊の本から新たにしたからである。



その本とは、流智美さんが書かれた「馬場戦記」である。先に三部作として出版された「猪木戦記」の後続になるが、本の帯に書かれた「誰も知らない馬場がここに在る!」というコピーに違わぬ内容で、年末の読み物として心から堪能した。


あまり書くとネタバレになるので、キーワードだけ簡潔に抜粋する。「豊登」と「ハワイ」が猪木にとって運命を変えるワードであることは周知の通りだが、これは馬場にもそのまま当てはまる(事が分かった)。


「豊登」の方は察しのつく方も多いだろうが、

後者は? 


 勿論馬場にとってハワイは第二の故郷とも言える存在だが、ここで言いたいのはそういう事ではなく、運命の岐路においてハワイという土地が果たした役割の方である。


もう少しだけ書かせて頂くと、馬場が第二次米国武者修行から帰国する前後のスケジュールが凄い


1964.4.1 ホノルル(ハードボイルド・ハガティ戦)

1964.4.3 東京(カリプス・ハリケーン戦)


時差を考慮に入れると、この日程が過密だという事は容易に分かる。逆のコースだと、到着後辛うじて中一日の休みが取れるが、ハワイから日本に飛んだ場合、空港に着いたらそのまま会場に直行しないと間に合わない。(この時の馬場はそれを実行した)


普通に考えたら、ホノルルの試合に出場するのがイレギュラーなのだ。万一飛行機の便が遅れれば東京での帰国第一戦に間に合わない。しかもこの日は第6回ワールド・リーグ戦の開幕戦。豊登に次ぐ準エース格の馬場の欠場は許されない。


しかし、ホノルルの試合出場は馬場の強い意向によるものだった。ハガティとの試合自体に意味があるわけではない。帰国直前に「ハワイ」という緩衝地帯を挟むことが、その後の馬場のレスラー人生に大きな影響を及ぼすほど重要だったということである。


なぜか? "戦記"には「慎重居士」とされた馬場の知られざる一面が記されている。それはあたかも乾坤一擲の勝負に臨むという気迫の漲ったものであった。"石橋を叩いて渡る"どころか、橋が決壊するリスクも大いにあったのだ。


これはある意味トップレスラーとしての「エゴ」と表現してもよいかもしれない。ハワイから帰国の途についた馬場には、あたかもブロディが降臨したかのような印象を受ける。時系列からすれば

馬場が「早すぎるブロディ」だったということになろうか。


そして馬場が「勝負」をかけた成果は、数年後、全日本プロレスを旗揚げする際に改めて線として繋がってくる。


まだ読まれていない方は、是非手に取ってご覧になって頂きたい。60年以上前のプロレス史の輪郭が、読書前より浮き彫りになって来るかと思う。


今回は「馬場戦記」で話しが尽きてしまった。

次回は今度こそ力道山没後の馬場の運命の激変、又「もう一つの選択肢」について書きたい。



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