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1966(昭和41)年
旗揚げビッグマッチシリーズ

昭和41年、日本プロレスの第8回ワールド大リーグ戦――本来であれば、ジャイアント馬場とアントニオ猪木が並び立つ、新時代の幕開け“黄金の構図”が実現するはずだった。

 

だが、その構想は思いもよらぬ形で崩れ去る。
日本プロレスを除名された豊登が、ハワイで特訓中の猪木を引き抜くという前代未聞の“太平洋上略奪事件”が勃発。これにより猪木は新団体へと移り、10月12日東京・蔵前国技館で旗揚げ興行が開催されることとなった。

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その旗揚げ戦で、猪木は早くも伝説を刻む。


ジョニー・バレンタインとの死闘――映像が現存していないにもかかわらず、今なお語り草となるほどの激戦である。この一戦は、猪木にとって“出世試合”と呼ぶにふさわしい歴史的な意味を持つ。

旗揚げ興行自体は成功を収めたものの、その後の地方巡業は苦戦を強いられる。観客動員は伸び悩み、経営は徐々に悪化。それでも大阪球場では、猪木がバレンタインからUSヘビー級王座を奪取するという快挙を達成し、希望の光を見せた。

しかし、その裏側では不穏な影が広がっていた。ギャラ未払い問題などの混乱により板橋大会が中止となり、怒った観客が暴徒化。社会問題にまで発展するという、団体の危機を象徴する出来事が起きてしまう。

赤字を抱えながらもシリーズは続行され、最終戦・東京都体育館では、猪木がスタン・スタージャックを相手に王座防衛を果たす。だがその舞台裏で、猪木と豊登の関係はすでに修復不能なまでに悪化していた。

 

「栄光と混乱、成功と崩壊」この一連の出来事は、アントニオ猪木という男の運命が、単なるスターの枠を超え、時代そのものを揺さぶる存在へと変わっていく過程を鮮烈に物語っている。

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