歴史 1 ランカシャー・レスリング
人類最古のスポーツとも言われるレスリングは、古代オリンピックの競技種目となるなど、世界各地で古くから様々な形式で行われていました。
イギリスでも、ジャケット着用のコーニッシュ・スタイル、日本の相撲のようなカンバーランド・スタイルなど、各地方特有のレスリングがありました。
ランカシャー地方のレスリングは、1800年代にルールの改正を重ね、他のスタイルと比べて制限が少なくなりました。よりエキサイティングな試合が繰り広げられるようになりましたが、「野蛮で残酷なスポーツ」と酷評されることもあり、賛否両論があったようです。しかし、屈強な男たちが集う炭鉱の町ウィガンでは受け入れられ、ランカシャー・レスリングは、ラグビーをも凌ぐ大人気スポーツとなりました。
また、名称がキャッチ・アズ・キャッチ・キャンとも呼ばれるようになりました。毎日10時間以上の過酷な肉体労働を強いられていた炭鉱夫たちは、厳しい環境下での仕事から脱却するため、大金を賭けて戦っていました。ルールがさらに改良されていくと、次第にキャッチ・アズ・キャッチ・キャン(ランカシャー・レスリング)の人気は広まっていきました。
1800年代後半、アメリカが大英帝国に迫る超大国として台頭してくると、レスリング界では、ヨーロッパの強豪レスラーたちがアメリカに集うようになりました。
エドウィン・ビビーやジョー・アクトンらランカシャーのトップレスラーたちも、新天地に戦いの場を求めました。
彼らの活躍により、グレコローマンスタイルなどが主流であったアメリカでも、ランカシャースタイルの“キャッチ・アズ・キャッチ・キャン”が普及していきました。
1904年のオリンピック・セントルイス大会では、それまでのグレコローマン・スタイル・レスリングに加えて、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンが競技種目として採用されました。
1908年にはアメリカ王者のフランク・ゴッチと、ヨーロッパ王者のジョージ・ハッケンシュミットが世界一を賭けて戦う大興行が打たれました。
これら同時代に開催された2つの大きなイベントが、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの歴史的分岐点となりました。 1911年にはシカゴの野球場で数万人を動員してゴッチ対ハッケンシュミットの再戦が行われました。
以後、オリンピックのレスリングは、アマチュアスポーツとしてふさわしい形へと発展していき、プロのレスリングは、大観衆を集める興行スポーツとして確立していきました。