歴史3 ライレージム京都
1993年
「ライレージム京都」 代表/コーチの松並修は、 単身イギリスに渡り、“ビリー・ライレー最後の弟子” ロイ・ウッドのもとで約3年間、ランカシャー伝統のキャッチ・アズ・キャッチ・キャンを学びました。
1999年
東京で、ビリー・ライレー・ジム出身の名プロレスラー、ビル・ロビンソンの指導も2年以上受けました。
2007年
地元京都にレスリングジムを設立し、同年4月に師であるロイ・ウッドの訪問を受けました。そして、まだ名前のなかったジムが、「ライレージム京都」と命名されました。
2012年
ロイ・ウッドは、ビリー・ライレーの技術が正しく継承されていくよう組織化を図り、公式ルールの作成、国際大会の開催、コーチとジムの認定制度の確立に着手しました。
同年、キャッチ・アズ・キャッチ・キャン発祥の地、ウィガンでおよそ50年ぶりとなる伝統ルールでの大会が開催されました。ライレージム京都の松並は、その記念すべきオープニングを飾る試合に抜擢され、勝利を収めました。
そして、松並修が公認コーチ第1号、「ライレージム京都」が公認ジム第1号となりました。
◆ 代表の言葉
総合格闘技や柔術の台頭以降、日本でもキャッチ・レスリングと銘打った試合も開催されていますが、それらは伝統ルールとは大幅に異なります。 時代とともにルールが変化していくのは、自然な流れです。しかしルールが変われば、失われていく技術もたくさんあります。 また、新しいスターの誕生とともに、かつての偉大なレスラーたちの名前は忘れ去られていきます。
しかし、現在の私たちの知識や技術は、偉大な先人たちの知恵と努力の上に積み上げられたものだということを決して忘れてはいけません。
ライレージム京都は、伝説の“蛇の穴”ビリーライレージムの再現を目指し、ビリー・ライレーの技術と魂を伝承しています。
さらに詳しく!
*ビリー・ライレー伝記 “Billy Riley - The man, the legacy -”
幼少期~選手時代~コーチ時代~晩年まで 、 ビリー・ライレーの激動の人生全てが語られています。 また、カール・ゴッチ、ビル・ロビンソンなどライレーの弟子たち、ライレーの死後のウィガンについても述べられています。本書では、 「ライレージム京都」も詳しく紹介されています!