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1969(昭和44)年
ゴールデン・シリーズ
“狂った凶悪犯が血を求めて来襲”という表現がふさわしいほど、荒々しく激しい展開となったシリーズである。
7月3日、東京・蔵前国技館では、フレッド・ブラッシーがジャイアント馬場のインター・ナショナル選手権に挑戦するも、ジャイアント・バックブリーカーの前に敗退。さらにマーフィー&バーナード組も、札幌と大阪でインター・タッグ王座に挑むが、いずれも完敗に終わった。
一方で、このシリーズからNETによるテレビ放送がスタート。その“ご祝儀”とも言える形で、エースのアントニオ猪木が新必殺技「原爆固め(ジャーマン・スープレックス・ホールド)」を披露した。6月12日の秋田、6月19日の千葉、そして蔵前国技館でのインター・タッグ選手権と、クルト・フォン・ストロハイムを相手に計3度成功させている。
猪木は「原爆固めはゴッチ先生の置き土産。練習では習得していたので、本番で狙っていた」と語っている。当時としては非常に危険度の高い技であり、相手の力量を見極めた上で、受け身の優れたストロハイムを選んで繰り出した点も注目に値する。




また本シリーズから、故・力道山の次男・百田光雄や、シンガポールからの留学生ドナルド・タケシ、“和製カルホーン”大里巌らが日本プロレスに入団。さらに大木金太郎はアジア・シングル戦線に専念するため、アジア・タッグ王座を返上した。
こうした動きの背景には、NETによるテレビ中継開始の影響も大きかったといえる。シリーズ全体が、新たな時代の幕開けを強く印象づけるものとなった。

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