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1975(昭和50)年
闘魂シリーズ第二弾

1975年12月11日――この日、アントニオ猪木とビル・ロビンソンが激突したNWF世界ヘビー級選手権は、日本プロレス史に燦然と輝く“技術と精神の極致”を示した一戦として語り継がれている。

本来この日は、東京・日本武道館で行われる「力道山13回忌追善特別試合」に各団体が集結する予定だった。しかし新日本プロレスはすでに蔵前国技館を確保しており、猪木は独自にこのロビンソン戦を、師・力道山への“追善試合”として位置づける決断を下す。

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挑戦者ロビンソンは、かつて国際プロレスでエースとして活躍し、日本のファンに絶大な支持を得た名手。イギリスの名門“蛇の穴”ことビリー・ライレー・ジム仕込みのレスリング技術は、まさに芸術の域に達していた。そんな二人の初対決は、長年ファンが待ち望んだ“夢のカード”でもあった。

試合は、力と力、技と技、読みと読みがぶつかり合う高度な攻防となる。互いに一歩も引かず、相手の呼吸を読み切るかのような緊張感が続く。

ロビンソンが1本先取し、猪木はなかなか取り返せないまま時間は過ぎていく。このまま0-1で猪木の敗北か ―― 誰もが諦めかけていたが、残り時間ぎりぎりで、猪木は渾身の卍固めを決める。

ようやく一本取り返したが、時間はほとんど残っておらず、1-1のまま60分時間切れ引き分け。
試合開始から最後まで一瞬たりとも目の離せない白熱の戦いは、見る者すべてにアントニオ猪木の“ストロングスタイルの真髄”を強烈に刻み込んだ。

再戦を望む声は多かったが、結局この対決は一度きりで終わる。だが、それゆえに価値は揺るがない。この一戦だけで十分だった――そう語るファンが多いのも頷ける。

この一戦は、27年後の2002年に実施された「新日本プロレス創立30周年 名勝負投票」において、堂々の第1位に選出された。時代を超えてなお輝きを失わない、まさに“究極の戦い”と呼ぶにふさわしい名勝負である。

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