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1988(昭和63)年
闘魂シリーズ

1988年後半の新日本プロレスは、世代交代の気配が濃く漂う転換期にあった。

 

その象徴となったのが、8月8日・横浜文化体育館で実現したIWGPヘビー級選手権、“王者”弟子の藤波辰巳に、その師匠であるアントニオ猪木が挑んだ一戦である。

 

団体の現在を担う藤波と、その礎を築いた猪木――“時代の象徴対決”は60分フルタイムの激闘の末、時間切れ引き分け。王座は藤波が守ったが、猪木の存在感はなお揺るがぬものとして観衆に刻まれた。

この試合後、新日本は海外戦略の一環として台湾遠征を敢行。猪木も参加し、闘志を再び研ぎ澄ませていく。しかし帰国後の「戦国合戦シリーズ」を猪木は欠場。同年だけで2度のシリーズ不参加となり、その動向に様々な憶測が飛び交った。

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そして次なる舞台で猪木は「闘魂復活」を掲げ、7番勝負に突入する。

 

だがその道のりは決して平坦ではない。長州力戦では、スリーパーホールドをロープ際でも離さない反則行為により敗北。かつて絶対的存在だった猪木の“暴走”は、ファンに大きな衝撃を与えた。

10月27日はこのシリーズの最終戦であるが、東村山市民体育館でシリーズを締めくくるというのは、珍しいことであった。

 

猪木は、巨漢クラッシャー・バンバン・ビガロと激突するも、再び反則負け。これまた、シリーズの締めくくりとしては異例の結末となった。それでも結果は5勝2敗。苦しみながらも意地を見せた数字である。

横浜でのドロー決戦、海外遠征、そして波乱の7番勝負――。この一連の流れは、世代交代の現実と向き合いながらも、なお“闘魂”を燃やし続けた猪木の苦闘を浮き彫りにした。

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