top of page

1989(平成1)年
格闘衛星シリーズ
平成時代、アントニオ猪木にとって“最初で最後”となる京都決戦は、激動の時代の中での大会であった。
こ の一カ月、日本プロレス史に残る画期的な大会が開催された。1989年4月24日、東京ドームでの初のプロレス興行。昭和には存在しなかった“ドーム興行”という大舞台で、猪木は日米ソ三国対抗戦の一環として、ソ連の柔道家ショータ・チョチョシビリと対戦した。
しかし結果は無念の完敗。46歳で久々に異種格闘技戦に挑んだ猪木は、厳しい現実を突きつけられることとなった。

「猪木敗北」の余波を残したまま始まったのが、この格闘衛星・日米ソ三国対抗戦シリーズである。
だが意外にも、猪木はこの対抗戦の中心には立たなかった。京都大会でもメインではなくセミファイナルに登場し、飯塚孝之と組んでヒロ斉藤&ストロングマシーン組と対戦。
猪木は、この5日後に控えていた大阪城ホールでの再戦に全神経を集中させていた。一度敗れた相手へのリベンジ――連敗は許されない状況。
背水の陣で、ショータ・チョチョシビリとのリベンジ戦に臨んだ猪木は、第2ラウンド開始わずか1分、腕を極めてギブアップ勝ち。見事な速攻で雪辱を果たす。
“落日の闘魂” と言われたが、まだまだ闘魂は燃え続けていることを証明した。
bottom of page