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1971(昭和46)年
新春チャンピオンシリーズ
前年の年度末、日本プロレス界はすでに大きなうねりの中にあった。ジャイアント馬場はロサンゼルスでジン・キニスキーからインター王座を奪還。
一方でアントニオ猪木は、映画撮影で訪れていたブラジ ル・マットグロッソの密林で毒蛇ジャララカに咬まれるという生死の境をさまよう大事件に見舞われる。しかし奇跡的に生還し、12月30日に帰国――この時点で、すでに“ただ事ではない一年”の幕が開いていた。



そこへ現れたのが、“恐怖の踏みつぶし男”ザ・ストンパーである。初戦からストンピングを武器に猛威を振るい、瞬く間にインター・ナショナル選手権への挑戦権を獲得。その勢いのまま大阪ではザ・ケンタッキアンと組んでタッグ王座にも挑むが、“BI砲”の壁は厚く敗退する。それでも広島ではジャイアント馬場を引き分けに追い込むなど、その実力を強烈に印象づけた。
さらにこのシリーズを特別なものにしたのが、サム・マソニックの来日である。NWA会長として来日した彼は、1972年のNWA総会を日本で開催したいという意向、そしてNWA認定ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級選手権に日本代表を送り込むという重大発表を行った。
その代表に内定したのが、死地から生還したばかりの男――アントニオ猪木。
波乱の連続で幕を開けたこの年は、やがて日本プロレス界の勢力図を大きく塗り替えていく、歴史的転換点への序章にほかならなかった。


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