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Toshiyuki Fujii
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プロフィール
登録日: 2024年10月8日
記事 (23)
2026年1月24日 ∙ 9 分
アントニオ猪木全国区デビュー夜明け前
馬場と猪木の熾烈なライバル心が燃え上がる 日本全国のプロレスファンにアントニオ猪木とういう名前が一気に浸透したのは果たしていつなのか? その長いプロレスリングヒストリーの中で模索し続けてきた。私が小学校の3年生の頃(昭和41年頃)、近くにある住吉公園で遊んでいる頃、上級生の6年生が砂場でプロレスごっこをしているのをみていたのだが、鮮明に彼らはジャイアント馬場の物まねをしている姿が印象に残っている。 ジャイアント馬場黄金時代の雄姿(昭和43年12月3日撮影) そう当時はアントニオ猪木の物まねをしている人はいなかった。 国民は、日本プロレスのテレビ放映においてはジャイアント馬場がエースとして外人の強豪達を倒す場面に一喜一憂しており、その頃の猪木はテレビ放映も付いていない東京プロレスで悪戦苦闘していた時代である。 アントニオ猪木は力道山にブラジルでスカウトされ、力道山道場3羽鳥(ジャイアント馬場、アントニオ猪木、大木金太郎)として育つが、力道山亡きあと直ぐにアメリカに行き精神・肉体共に鍛えられる。そして凱旋帰国するはずであったが、ハワイで新団体を目論む豊登に口説かれ東京プロレスのエース...
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2026年1月8日 ∙ 7 分
★初来日シリーズ(秘蔵写真大公開)から探る二人の新鋭レスラーが歩んだ違った道【“美獣”ハーリー・レイスと“狂犬”デイック・マードック】
1979年5月7日:大阪東急ホテル至 レイスはアメリカよりこの日来日した。 1979年5月8日【全日本プロレス:千葉】において外人同士のNWA世界ヘビー級選手権試合が行われた。王者ハーリー・レイスが前日、大阪においてジャンボ鶴田を破っての連続防衛戦の相手は”狂犬”デイック・マードックである。 ① マードック(14分45秒 ブレーンバスターから体固め) ② レイス (20分46秒 ダイビング・ヘッドバット) ③ 時間切れ引き分け でレイスが王座を防衛した。 なかなかの好試合でジャイアント馬場、後には渕正信もこの試合を高く評価した。 日本のマットで世界最高峰のタイトルであるNWA世界選手権を賭けて戦った二人の一流レスラーが歩んできた道は大きく違えど、片やレイスは職人肌のミスター・プロレス、マードックは生まれ持っての天才肌レスラーと呼ばれていた。 ダイナミック・シリーズのパンフ 遡ること1968年2月に開催されたダイナミック・シリーズ(2月23日~3月23日)においてキラー・バデイ・オースチン、バロン・シクルナ、テネシー・レベル(マイク・パドーシス)、そして初来日の二人、そう...
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2025年12月14日 ∙ 10 分
近くて遠かった!!アントニオ猪木とハーリー・レイス
これまで対戦が話題になった事は何度かあったが、日本のリングで不思議とシングル戦で相まみえることがなかったアントニオ猪木とハーリー・レイス。 キャリアと実績を積み上げた二人が対戦していればどんな試合になったかは遂に永遠の夢物語となってしまった今、若獅子と美獣と呼ばれた時代には、タッグ戦や6人タッグで対戦していた記録とその当時二人の対決をテレビでみていた私の印象を語ってゆこうと思う。 今、思い起こせば本当に貴重な対戦を見れていたものだと感謝するしかない。 海外武者修行中のアントニオ猪木は1964年、最初のアメリカでのサーキット・コースであるミズリー州カンザスシティにおいて2カ月弱の滞在期間において、若きハーリー・レイスと抗争を繰り広げていた記録が残っている。初遭遇(1964年4月30日:カンザスシティ)においては、30分の時間切れ引き分けという熱戦をおこなっている。 その後、アントニオ猪木は凱旋帰国するのだが、日本プロレスではなく東京プロレスのエースとして活躍したりして少し遠回りはしたが、1967年日本プロレスに復帰しBI砲(ジャイアント馬場&アントニオ猪木)として活躍していた。...
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