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Toshiyuki Fujii
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プロフィール
登録日: 2024年10月8日
記事 (25)
2026年3月23日 ∙ 4 分
“太陽神”Sareeeデビュー15周年☆横浜結晶!!
“太陽神”Sareeeデビュー15周年記念試合のリングに立つ 現在の女子プロレス界においてストロングプロレスを貫く4人が同じリングに立ち、タッグマッチで雌雄を決した!! 間違いなく、熱い感動と涙が渦巻いた素晴らしい横浜決戦であった。 ライレージム京都の松並コーチと伊藤道場の伊藤薫道場長は小学生、中学生からの同級生で今でも良き関係性を保つ仲ゆえ、関西で試合がある時は、伊藤薫を師匠と慕うSareeeや、弟子たちにキャッチレスリングを学ばせようと、山科にあるライレージム京都を訪れ汗を流してゆく。さらに伊藤薫道場長は松並コーチを定期的に伊藤道場へ呼び、道場生達にレスリングを学ばせる努力もされている。 Sareeeがデビュー15周年を迎えるにあたり3月22日(日)横浜武道館で記念興行を行うとのことで,松並コーチと伝昭プロジェクトの藤井がお祝いと取材を兼ねて横浜へ足を伸ばした。 今回はSareeeの10回目の自主興行はデビュー15周年(2011年4月17日、対里村明衣子戦で敗退)の記念イベントSareeeISM ChapterX 太陽神 Chronicle ~15th...
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2026年3月9日 ∙ 2 分
山科の畑で子供達がレスリングを楽しみ夢中になった日(2026年3月7日)
ライレージム京都の精鋭陣 梅も咲き春の足音も聞こえ始めた、まだ少し寒さも残る3月7日、EnjoyFarm TRY(京都市山科区西野様子見町63-1の会場において、ライレージム京都の松並修コーチが、山科の恒例行事となった町興し、「畑で遊ぶDAY」に地元の子供達にレスリングの楽しさを伝える為に参加した。 電気もない時代、レスリングの試合は週末に屋外で行われていました。ヴィクトリア時代の英国ランカシャー地方のレスリング、「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」を当時の雰囲気で体験してみましょう!という企画は年々、地元の子供達にも好評で、今年も多くの参加があった。13時からスタートした一般練習&試合は寒さを吹っ飛ばすほどの熱い試合が展開され、試合の合間には松並コーチの各個人へのアドバイスや複雑なキャッチレスリング特有の締め技などが目の前で披露され、その技を会得しようと練習生たちの熱い眼差しが松並コーチに注がれると共に直ぐにでも会得したいとの前向きな姿勢に感銘する。その後も時間が許される限り練習生同士の試合がさらに熱を帯び展開され、会場に来られていた観衆の熱い視線が注がれていた。...
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2026年1月24日 ∙ 9 分
アントニオ猪木全国区デビュー夜明け前
馬場と猪木の熾烈なライバル心が燃え上がる 日本全国のプロレスファンにアントニオ猪木とういう名前が一気に浸透したのは果たしていつなのか? その長いプロレスリングヒストリーの中で模索し続けてきた。私が小学校の3年生の頃(昭和41年頃)、近くにある住吉公園で遊んでいる頃、上級生の6年生が砂場でプロレスごっこをしているのをみていたのだが、鮮明に彼らはジャイアント馬場の物まねをしている姿が印象に残っている。 ジャイアント馬場黄金時代の雄姿(昭和43年12月3日撮影) そう当時はアントニオ猪木の物まねをしている人はいなかった。 国民は、日本プロレスのテレビ放映においてはジャイアント馬場がエースとして外人の強豪達を倒す場面に一喜一憂しており、その頃の猪木はテレビ放映も付いていない東京プロレスで悪戦苦闘していた時代である。 アントニオ猪木は力道山にブラジルでスカウトされ、力道山道場3羽鳥(ジャイアント馬場、アントニオ猪木、大木金太郎)として育つが、力道山亡きあと直ぐにアメリカに行き精神・肉体共に鍛えられる。そして凱旋帰国するはずであったが、ハワイで新団体を目論む豊登に口説かれ東京プロレスのエース...
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