

「昭」のロゴをよく見ると、浮かび上がるのは・・・
レスラーとの交友録
伝昭プロジェクト
マネージャー 藤井敏之
ファンク兄弟

1969年の暮れに王者ドリー・ファンク・ジュニア対アントニオ猪木のNWA世界戦を見て以来ドップリとプロレスというぬかるみの世界にはまってしまう。
年齢を重ねるにつれスター選手と話したいという衝動にかられ、1993年の西宮球場で開催されたFMF「進撃!」で大阪にテリー・ファンクが来てからグッとファンク兄弟との距離が縮まる。
1988年のブルーザー・ブロデイ、1991デイック・ザ・ブルーザー、1993年アンドレ・ザ・ジャイアント、1996年、デイック・マードック、1997年フリッツ・フォン・エリックとかつてのヒーロー達の訃報を聞くたび、今しか我々世代のヒーローに会いお話を聞けるチャンスが無いと思い2000年に初めてCAC(カリフラワー・アレイ・クラブ)が行われているラスベガスへと行く。
カリフラワー・アレイ・クラブ
その後はテキサスのキラー・カール・コックス、オクラホマのデイック・ハットン、オカラのドリー・ファンク・ジュニアの御家庭を訪問。そして何度か行ったCACにて知り合ったニック・ボックウインクル、ザ・デストロイヤー、ジャック・ブリスコ、ら他と長らく交流させて頂きました。特にザ・デストロイヤーとは2008年水泳を通じての国際交流の実現の手助けができ、大阪来訪された時はザ・デストロイヤーファミリーとアクロン・セントラルスクールの生徒とご家族合わせて総勢30名を京都に案内する機会にも恵まれた。そしてザ・デストロイヤー80歳の誕生日にはサプライズでCAC会長であるニック・ボックウインクルを招聘、又、2018年ニューヨーク州北部バッファローで行われた前年秋の叙勲で旭日双光章を受章したザ・デストロイヤーの叙勲伝達式の招待状を頂く幸運にも恵まれた。




現在、まだまだお元気なドリー・ファンク・ジュニア、そして日本マットにおいてファンク兄弟のライバルであったスタン・ハンセンとは今も近況を伝え合っています。又、ハートファミリーのロス・ハートとは逐次、お互いに日本・海外のプロレス情報を交換しています。
又、ビル・イーディー(マスクド・スーパースター)の日本で行われた引退ツアーにおいては関西地区の開催に協力させて頂く。
“実業家” タイガー・ジェット・シン
そして.ヒールとして日本中を恐怖のどん底に巻き込んだインドの狂虎”ことタイガー・ジエット・シンとも長らく交流しています。
2009年初めてご自宅を妻と一緒に訪問、その後も2012年、2019年とご自宅へ。
トロント市内から車で30分ほど走ると大邸宅が目に入る、入口の門が開かれてからも自宅までは数分かかる。そして室内はまるで宮殿を彷彿させる豪華さである。
最初はタクシーでご自宅に向かったが、インド人のタクシードライバーならタイガー・ジエット・シンの名前を言えばそのままご自宅まで運んでくれるという噂は本当であった。
かつてはWWE代表のビンス・マクマホンがヘリコプターで訪問、日本での最大のライバルであり盟友であったアントニオ猪木もご自宅へ来られたとのこと。

最初の訪問時はタイガー自ら運転する車で自宅裏にあるスキー場まで併設された公園内をドライブ、そしてミルトン市内の広大なタイガータウンで次男のご自宅をも訪問、その後はお孫さんを迎えに保育園へ行ってからミルトン市長G.A.GRANTZ氏を表敬訪問しミルトン市庁内を案内してもらう。
その後ご自宅で奥様の手料理で歓迎会を催していただきました。
2回目の訪問時は市庁内にミルトン市に多くの寄付をされているタイガー・ジエット・シンのすばらしい足跡に対し市長が“WAIK OF FAME”を設立されたのを拝見、されに完成したTIGER GEET SINGH PUBLIC SCHOOLを訪問した。
その後タイガー・ジエット・シンの現役時代のファイト写真や現在の地元で活躍される写真やベルトなど飾られているTroy’s Dinnerで夕食を頂く。

3回目はタイガー・ジュニアの車でナイアガラの滝を観光、その後彼の取り組んでいるLEDライトの会社へ、翌日はホテルまで迎えに来ていただき久々タイガー・ジエット・シンとご対面。盟友アントニオ猪木さんの体調が優れない事を伝えるとすぐに電話したいことだった。行くたびに地元での慈善活動の幅が大きく成り本当に地元ミルトンの大英雄である。(敬称略)



お問い合わせ先
伝昭プロジェクト
Eメール: doryfunkjr69@gmail.com
事務局
TEL: (075)285-2403 (WWPクラブ)
〒607-8341 京都市山科区西野今屋敷町27-6
Eメール: rilygymkyoto@gmail.com