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昭和プロレス懐古 & 現代プロレスの原点ランカシャー・レスリング
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ほぼ
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伝昭プロジェクト
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ついに京都上陸!「燃える闘魂 アントニオ猪木展」開催中!
ついに「アントニオ猪木展」が京都にやって来た――! 1997年にジェイアール京都伊勢丹が開業するまで、関西人にとって「伊勢丹」という名前は、決して身近なものではなかった。 しかし、昭和プロレスファンにとって“伊勢丹”と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、やはり「新宿伊勢丹前襲撃事件」ではないだろうか。 そんな因縁深き“伊勢丹”で現在開催されているのが、「燃える闘魂 アントニオ猪木展」。 会期もいよいよ後半戦に突入し、残すところあと一週間となった。 まだ来場されていない方はぜひお急ぎを。そして、すでに足を運ばれた方も、閉幕までにもう一度! 京都開催ということで、京都が誇る名所のプロレス美術館、そして伝昭プロジェクト藤井氏による秘蔵コレクションが大集結。 特に圧巻なのが、約50枚にも及ぶ貴重なポスター展示です。日本プロレス時代、新日本プロレス創成期の超貴重ポスターが並び、まさに“昭和プロレス史”そのもの。 さらに、ポスターにはQRコードが設置されており、スマートフォンで読み込めば、時代背景や試合内容、秘話などの詳細解説を楽しむことができる。ポスターを眺めな

Riley's Gym Kyoto
30 分前読了時間: 3分


「新・ライレージムへの道」はじめました
「ランカシャー・レスリング/キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」、「蛇の穴ビリー・ライレー・ジム」 昭和40〜50年代、日本が“プロレス黄金時代”と呼ばれていた頃、プロレス中継や専門誌で頻繁に語られていた言葉である。 昭和44年に放送が始まったアニメ『タイガーマスク』に登場するレスラー養成機関「虎の穴」も、この“蛇の穴”がモデルになったと言われている。 アニメ「タイガーマスク」の虎の穴 それは、このジムの出身であり“プロレスの神様”と呼ばれたカール・ゴッチ の存在にある。 ゴッチは、アントニオ猪木を筆頭に、藤原喜明、佐山聡、前田日明、高田延彦、船木誠勝 らに“蛇の穴”の技術を伝えた人物である。 そのことが、モハメド・アリ戦などの、猪木の異種格闘技戦、シューティング(現・修斗)とパンクラス、日本における総合格闘技(MMA)誕生にも大きな影響を与えた。 道場で猪木を指導するゴッチ また、ゴッチの弟弟子で“人間風車”の異名を持つ ビル・ロビンソン は、昭和43年に初来日。 当時の日本のプロレスファンが見たこともない“蛇の穴”の華麗なテクニックを披露し、多

Riley's Gym Kyoto
5月11日読了時間: 4分


世紀の一戦の真実なる証言を聞き逃すな‼
それぞれの1976年6月26日があった。 武道館で生観戦した者、営業中に電気屋のテレビで見た者、会社や学校を休んで見た者、教室で先生とみんなで見た者、家族一緒に見た者、仕事でどうしても見れなかった者、まだ幼くてよく解らなかった者他、ただその日は日本の英雄アントニオ猪木がプロボクシング世界王者でありアメリカの自由と平和を愛するアメリカの象徴、アメリカンヒーローであるモハメド・アリが戦う日であり朝から興奮していたのは間違いない。 各々が頭の中で描く試合展開を、実際リング上で展開されるであろう試合を比較しながら格闘ロマンに酔いしれようとしていた。 しかし15Rが終了した時点でほとんどの人は落胆し試合に対して誹謗中傷したのが現実であった。 一般市民は当然の気持ちであり、コアなプロレスファンすら同年2月に始めて日本のリングで行われた格闘技世界一決定戦・アントニオ猪木対ウイリエム・ルスカのプロレス対柔道の試合が予想以上にスイングした試合だったので、それ以上の期待を込めていたゆえの落胆だったかもしれない。 この最大の原因はテレビ放送前にこの試合におけるルール
Toshiyuki Fujii
5月2日読了時間: 3分


闘魂語り部塾大阪☆舟橋慶一が語る”猪木アリ戦の真実☆
☆「闘魂語り部塾大阪」Talkで綴る猪木アリ戦の真実 【猪木アリ戦50周年記念特別講演会・大阪】 ▼猪木アリ戦の徹底分析TalkEvent▲ 【伝承の会・闘魂語り部塾大阪】 日時:2026年5月17日(日)10:15~16:45 会場:大阪市淀川区西中島7-12-5日宝北2号館801号室(新大阪駅徒歩3分) 会費:8,500円(ご応募定員38名様) ご応募御礼。 残席若干名様となりました! ~猪木アリ戦の実現までのプロセスと闘いの後の苦悩の日々は壮大な大河ドラマである~ いま、その過程と真実が明らかに!TalkとPowerpointで綴る5時間半の集中講座! 世紀の一戦・猪木アリ戦を語りつくす。 水面下で進んだ猪木アリ戦の実現への道のり ”猪木アリ戦の知られざる真実”を深掘りする 明確なRuleが存在しなかった猪木アリ戦 これを知らずして猪木アリ戦は語れない 舟橋が放送側から体験した事実を語る 受付:日宝北2号館805号室(禁煙) 09:45~10:15 講座:日宝北2号館801号室(禁煙) 10:15~16:45 ◇午前の部 10:15~12:
Toshiyuki Fujii
4月19日読了時間: 2分


“太陽神”Sareeeデビュー15周年☆横浜結晶!!
“太陽神”Sareeeデビュー15周年記念試合のリングに立つ 現在の女子プロレス界においてストロングプロレスを貫く4人が同じリングに立ち、タッグマッチで雌雄を決した!! 間違いなく、熱い感動と涙が渦巻いた素晴らしい横浜決戦であった。 ライレージム京都の松並コーチと伊藤道場の伊藤薫道場長は小学生、中学生からの同級生で今でも良き関係性を保つ仲ゆえ、関西で試合がある時は、伊藤薫を師匠と慕うSareeeや、弟子たちにキャッチレスリングを学ばせようと、山科にあるライレージム京都を訪れ汗を流してゆく。さらに伊藤薫道場長は松並コーチを定期的に伊藤道場へ呼び、道場生達にレスリングを学ばせる努力もされている。 Sareeeがデビュー15周年を迎えるにあたり3月22日(日)横浜武道館で記念興行を行うとのことで,松並コーチと伝昭プロジェクトの藤井がお祝いと取材を兼ねて横浜へ足を伸ばした。 今回はSareeeの10回目の自主興行はデビュー15周年(2011年4月17日、対里村明衣子戦で敗退)の記念イベントSareeeISM ChapterX 太陽神 Chronicl
Toshiyuki Fujii
3月23日読了時間: 4分


山科の畑で子供達がレスリングを楽しみ夢中になった日(2026年3月7日)
ライレージム京都の精鋭陣 梅も咲き春の足音も聞こえ始めた、まだ少し寒さも残る3月7日、EnjoyFarm TRY(京都市山科区西野様子見町63-1の会場において、ライレージム京都の松並修コーチが、山科の恒例行事となった町興し、「畑で遊ぶDAY」に地元の子供達にレスリングの楽しさを伝える為に参加した。 電気もない時代、レスリングの試合は週末に屋外で行われていました。ヴィクトリア時代の英国ランカシャー地方のレスリング、「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」を当時の雰囲気で体験してみましょう!という企画は年々、地元の子供達にも好評で、今年も多くの参加があった。13時からスタートした一般練習&試合は寒さを吹っ飛ばすほどの熱い試合が展開され、試合の合間には松並コーチの各個人へのアドバイスや複雑なキャッチレスリング特有の締め技などが目の前で披露され、その技を会得しようと練習生たちの熱い眼差しが松並コーチに注がれると共に直ぐにでも会得したいとの前向きな姿勢に感銘する。その後も時間が許される限り練習生同士の試合がさらに熱を帯び展開され、会場に来られていた観衆の熱い
Toshiyuki Fujii
3月9日読了時間: 2分


山科で甦る!レスリングの原風景
1800年代中期から1900年代初期。炭鉱業で栄えたイギリス・ランカシャー地方。 そこは、現代プロレスやオリンピックレスリングの源流であるランカシャー“キャッチ・アズ・キャッチ・キャン”レスリングの最盛期でもありました。 電気もない時代、荒々しい炭鉱夫たちの娯楽は、屋外でのレスリングとラグビー。そして子どもたちもまた、野原で取っ組み合いをして遊んでいました。 レスリングは一番のプロスポーツでした。 3月7日、山科の農園「Enjoy farm TRY」さんで開催される「畑で遊ぶday!」は、そんな原風景を思わせる一日です。 昨年、一昨年と開催し、いずれも大盛況。ほんの百数十年前までは当たり前だった屋外レスリングは、現代ではむしろ新鮮です。 広大な空間で競い合う迫力と臨場感 マットの上とは違う、自然の中での攻防 しかし、この日の真の主役は子どもたちです。 青空の下、土の匂いを感じながら組み合い、その横ではタグラグビーに挑戦する姿も。 それはまさに、ヴィクトリア時代ランカシャーの再現。 レスリングが子供たちの遊びに タグラグビーで全力疾走...

Riley's Gym Kyoto
2月23日読了時間: 2分


アントニオ猪木全国区デビュー夜明け前
馬場と猪木の熾烈なライバル心が燃え上がる 日本全国のプロレスファンにアントニオ猪木とういう名前が一気に浸透したのは果たしていつなのか? その長いプロレスリングヒストリーの中で模索し続けてきた。私が小学校の3年生の頃(昭和41年頃)、近くにある住吉公園で遊んでいる頃、上級生の6年生が砂場でプロレスごっこをしているのをみていたのだが、鮮明に彼らはジャイアント馬場の物まねをしている姿が印象に残っている。 ジャイアント馬場黄金時代の雄姿(昭和43年12月3日撮影) そう当時はアントニオ猪木の物まねをしている人はいなかった。 国民は、日本プロレスのテレビ放映においてはジャイアント馬場がエースとして外人の強豪達を倒す場面に一喜一憂しており、その頃の猪木はテレビ放映も付いていない東京プロレスで悪戦苦闘していた時代である。 アントニオ猪木は力道山にブラジルでスカウトされ、力道山道場3羽鳥(ジャイアント馬場、アントニオ猪木、大木金太郎)として育つが、力道山亡きあと直ぐにアメリカに行き精神・肉体共に鍛えられる。そして凱旋帰国するはずであったが、ハワイで新団体を目論む
Toshiyuki Fujii
1月24日読了時間: 9分


★初来日シリーズ(秘蔵写真大公開)から探る二人の新鋭レスラーが歩んだ違った道【“美獣”ハーリー・レイスと“狂犬”デイック・マードック】
1979年5月8日【全日本プロレス:千葉】において外人同士のNWA世界ヘビー級選手権試合が行われた。王者ハーリー・レイスが前日、大阪においてジャンボ鶴田を破っての連続防衛戦の相手は”狂犬”デイック・マードックである。 ① マードック(14分45秒 ブレーンバスターから体固め) ② レイス (20分46秒 ダイビング・ヘッドバット) ③ 時間切れ引き分け でレイスが王座を防衛した。 なかなかの好試合でジャイアント馬場、後には渕正信もこの試合を高く評価した。 日本のマットで世界最高峰のタイトルであるNWA世界選手権を賭けて戦った二人の一流レスラーが歩んできた道は大きく違えど、片やレイスは職人肌のミスター・プロレス、マードックは生まれ持っての天才肌レスラーと呼ばれていた。 ダイナミック・シリーズのパンフ 遡ること1968年2月に開催されたダイナミック・シリーズ(2月23日~3月23日)においてキラー・バデイ・オースチン、バロン・シクルナ、テネシー・レベル(マイク・パドーシス)、そして初来日の二人、そうハーリー・レイスとデイック・マードックであ
Toshiyuki Fujii
1月8日読了時間: 7分


昭和最後の最強タッグ
"降る雪や明治も遠くなりにけり"という句が詠まれたのは昭和六年(1931年)の1月。明治最後の年が45年(1912年)なので、その時点で約二十年経っていたことになる。ざっとふた昔なので、間に短い大正を挟み、明治の輪郭も霞がかってきた頃だったのだろう。 その伝でいけば、昭和は64年(1989年)の初頭まで続いたので、もう37年経ったことになる。 つい最近まで割と身近なところにあった気がしていたが、いつの間にかすっかり朧げになってしまっていた。 本ブログの趣旨が昭和プロレス、更に年末ということで、今回は昭和最後の開催となった、88年の世界最強タッグを振り返ってみたい、 前年の87年には、新日から数年ぶりにカムバックしたブッチャーとブロディを加えた全12チームが参加、新旧の役者が揃った豪華版かつ、ハンセンとブロディが別々のチームとして争うなど、今後の展開が楽しみになる大会だった。顔ぶれだけで言えば、最強タッグ史上最高のメンバーだったかもしれない。 しかし僅か一年後の88年、様相は一変していた。 プエルトリコで命を落としたブロディ、オープンタッグ以来の看
Satom
2025年12月17日読了時間: 8分


近くて遠かった!!アントニオ猪木とハーリー・レイス
これまで対戦が話題になった事は何度かあったが、日本のリングで不思議とシングル戦で相まみえることがなかったアントニオ猪木とハーリー・レイス。 キャリアと実績を積み上げた二人が対戦していればどんな試合になったかは遂に永遠の夢物語となってしまった今、若獅子と美獣と呼ばれた時代には、タッグ戦や6人タッグで対戦していた記録とその当時二人の対決をテレビでみていた私の印象を語ってゆこうと思う。 今、思い起こせば本当に貴重な対戦を見れていたものだと感謝するしかない。 海外武者修行中のアントニオ猪木は1964年、最初のアメリカでのサーキット・コースであるミズリー州カンザスシティにおいて2カ月弱の滞在期間において、若きハーリー・レイスと抗争を繰り広げていた記録が残っている。初遭遇(1964年4月30日:カンザスシティ)においては、30分の時間切れ引き分けという熱戦をおこなっている。 その後、アントニオ猪木は凱旋帰国するのだが、日本プロレスではなく東京プロレスのエースとして活躍したりして少し遠回りはしたが、1967年日本プロレスに復帰しBI砲(ジャイアント馬場&アン
Toshiyuki Fujii
2025年12月14日読了時間: 10分


爆弾小僧の光と影(後編)
前回は、キッドが故郷イギリスから移り住んだカルガリーを足がかりに、日本での地盤を確固たるものにするまでを振り返った。 今回はレスラー人生の後半生、絶頂から転落までを含む、波乱の軌跡について見ていきたい。 藤波という好敵手を得た僅か一年後、キッドの前に生涯最高の新しい恋人が出現した。言うまでもなく、初代タイガーマスク・佐山サトルである。 1981年4月から83年にかけて、約二年ほどの短いライバル関係であったが、二人がリングの上に散らした閃光は鮮やかな残像となって、今も多くのファンの脳裏に焼き付いているのではないか。 この時期、キッドと初代タイガーが築いた土台の上に、90年代の新日スーパージュニア戦線が確立され、更にはWWF(WWE)、WCWにおける、エディ・ゲレロ、クリス・ベンワー、レイ・ミステリオ・ジュニア、ウルティモ・ドラゴンら軽量級レスラー達の黄金時代が導かれたと言っても大げさではないだろう。 1982年8月MSGのリングでお披露目された鉄板の一戦。ショートタイツ姿で登場したキッドはタイガーの変幻自在の動きに見事に対応。最後はラウンディン
Satom
2025年12月5日読了時間: 11分
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Eメール: doryfunkjr69@gmail.com
事務局
TEL: (075)285-2403 (WWPクラブ)
〒607-8341 京都市山科区西野今屋敷町27-6
Eメール: rilygymkyoto@gmail.com
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