アントニオ猪木を語り継ぐ伝承の会 関西特別講演会★特報
- Toshiyuki Fujii
- 5月15日
- 読了時間: 2分
更新日:5月23日

開催まで後、3週間と迫ってきました。今回のイベントのテーマであるアントニオ猪木が”若獅子”と呼ばれていた時代から”燃える闘魂”へと移り行く猪木の最盛期の多くの歴史的試合について、その時の猪木の気持ち、何故この試合が実現したのか?などを含めながら舟橋氏が語られるイベントにおいて、当日は今年も大阪で開催されると言われている「アントニオ猪木展」に先がけて猪木さんゆかりのプレ展示会をも行うことが決まりました。

1969年7月2日からスタートしたNETの放送からアントニオ猪木除名事件までには1969年12月2日、アントニオ猪木自身もベストバウトと称するNWA世界ヘビー級選手権試合、王者ドリー・ファンク・ジュニアに26歳の若さで臨んだ60分フルタイムドローの歴史的試合、他”鉄の爪”フリッツ・フォン・エリック戦、”人間台風”ドン・レオ・ジョナサン、”テキサスの荒馬”テリー・ファンク戦、”金狼”ニック・ボックウインクル戦、そして因縁の相手”妖気”ジョニー・バレンタイン戦、”悪魔仮面”ミル・マスカラス戦、その後1971年3月26日にロサンゼルスで待望のシングル王座であるUNをジョン・トロスから奪取。
1971年5月19日、第13回ワールド大リーグ戦決勝戦(大阪府立体育会館)においては、控室でジャイアント馬場に突然の対戦表明、そして年末には日本プロレス界最大の事件である”アントニオ猪木除名事件が勃発。この事件が後々日本のプロレス界の歴史を大きく変えたと言っても過言でない。

翌年、新日本プロレスを設立するが、ライバルというべき外人選手が来なくしばらく低迷したが、1973年日本プロレスを辞めた坂口征二との合流と共にNETテレビの放送が決まる。さらに宿敵”インドの狂虎”タイガー・ジエット・シンの登場で一気に人気が加速し、多くの名勝負を生み出し、アントニオ猪木ブームが到来した。
この間におけるお宝を会議室に展示します。猪木さんが初めてエースとして活躍した幻の東京プロレスから新日本プロレスの間のアントニオ猪木が取得した精巧なチャンピオンベルトのレプリカの展示、懐かしいプロレスポスター、猪木やそのライバル達のゆかりの品㊙を飾る予定です。
是非、関西でのアントニオ猪木を語り継ぐ”伝承の会”関西特別講演会に是非お越しください。残席数、残り少なくなりました。お早目にどうぞ!!
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