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昭和プロレス懐古 & 現代プロレスの原点ランカシャー・レスリング
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力道山の師匠(後篇)
「入門から敗戦時までの力道山は、とても素直でいい子で稽古熱心だった。だが敗戦後は気持ちが変わったのか、性格は一変した」 岡村正史氏の著作「力道山」の冒頭に登場する、玉ノ海の述懐である。半島から船で渡って来た 力道山を下関で出迎え、親方付けの直弟子として一から育て上げた師匠の...
Satom
2024年12月27日読了時間: 6分


昇龍出陣の地
扉の写真はもう30年近く前のものだが、テキサス州のHerefordという町にあるブル・バーンという建物の前で撮ったものである。記録によると、1979年の末頃までは週に一度、土曜日の夜にここでプロレスの興行が行われていた。 興行といっても、近郊のアマリロやラボックに比べると出場する選手も少なく、全カードで精々三試合といったところ。第一試合と第二試合がシングルマッチで、メインは一試合目と二試合目に出場した選手同士を組み合わせたタッグマッチというパターンも多かったようである。更にタッグマッチを外して、シングル二試合のみ、という事もあった。いずれの場合も、選手は4人いれば事足りる。 Herefordの中心産業は牧畜で、広大な土地に放牧された牛の数の方が、人口よりも多い可能性すらあるくらい小規模な町(1970年代の人口は1万人台)なので、観客動員もおそらく100〜200人、入っても250人程度だったのではないか。平均入場料が3ドルとして、チケットの売上も大体想像がつく。採算の問題から他の街のように6〜7試合は組めない。 プロレス雑誌や書籍では「ヘレフォード
Satom
2024年12月6日読了時間: 6分


知られざる日本初登場前のタイガー・ジエット・シンの戦績 Part3: 猪木、シン出世試合は共通の敵“金髪の妖気”ジョニー・バレンタインだった!!
昭和41年11月19日大阪球場でのアントニオ猪木とジョニー・バレンタインの対決 不思議な縁とはこのことだろう、1973年5月新日本プロレスのリング上で初めて相対したアントニオ猪木とタイガー・ジエット・シンのそれまでの過去の歴史を辿れば魔訶不思議な因縁が見えてくるのである。...
Toshiyuki Fujii
2024年11月23日読了時間: 4分


知られざる日本初登場前のタイガー・ジエット・シンの戦績 Part2:伴侶とともに再びトロントへ
1969年3月、祖国インドに凱旋帰国したシンは郷土の人々より熱烈歓迎を受ける。 1970年2月両親の紹介でお見合いをしたシンは3月には16歳のスクゥジットさんとスピード結婚。そして奥様を伴って再びトロントに足を踏み入れる。前回において既にこの地で輝かしい実績を残しているシン...
Toshiyuki Fujii
2024年10月30日読了時間: 4分


知られざる日本初登場前のタイガー・ジエット・シンの戦績 Part1:トロントデビューから一時帰国まで
岡田氏が描いた素晴らしいタイガー・ジエット・シンの肖像画 1973年5月4日、突如テレビ画面に、山本小鉄対スチーブ・リッカードの闘いをリングサイドで見ていた一人のターバンを被った大男が観客席からリングに駆け上がり、リッカードの椅子攻撃に激怒した山本が椅子を奪い返し反撃してい...
Toshiyuki Fujii
2024年10月22日読了時間: 5分


★若獅子と燃える闘魂の狭間で
昭和42年8月14日、難波にあった大阪球場でのスナップ写真 忘れもせぬ昭和46年12月9日、中学2年の期末試験の最終科目である数学の試験も終わり、さあいよいよ級友たち数十名と胸をときめかしながら難波に向かった。大阪府立体育会館に到着し、その張り紙を目にしたとたん膝から崩れ落...
Toshiyuki Fujii
2024年10月18日読了時間: 18分


私考、ドリー・ファンク・ジュニア
私考!“グレート・テキサン” ドリー・ファンク・ジュニア ・ ドリー・ファンク・ジュニア、自らのバイオグラフィー本をもって 2024年8月24日、神奈川・富士通スタジアム川崎においてテリー・ファンク一周忌追悼・大仁田厚デビュー50周年記念大会~川崎伝説2024と名打って大会...
Toshiyuki Fujii
2024年10月8日読了時間: 21分
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TEL: (075)285-2403 (WWPクラブ)
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