top of page

​昭和プロレス懐古 & 現代プロレスの原点ランカシャー・レスリング

Weekly

ほぼ

​週刊 昭和プロレス

Since 2024

伝昭プロジェクト
特別価格
0円

★昭和のプロレス低迷期はこの時代だと断言できる!!

更新日:2025年10月11日




昭和48年3月3日、近代記念館でグレート小鹿&松岡頑鉄がアジア・タッグ王者になる。


すでに新春チャンピオンシリーズの日程とタイトルマッチが決まっていた昭和47年の新春

、1月5日の名古屋大会(名古屋・愛知県体育館)と1月6日の大阪大会(大阪府立体育会館)に特別参戦として現NWA認定USヘビー級チャンピオンの”黒い魔人”ボボ・ブラジルと現WWWFヘビー級チャンピオンの”魔豹”ペドロ・モラレスが来日し、名古屋ではペドロ・モラレスがアントニオ猪木のUN王座に挑戦。大阪ではボボ・ブラジルがジャイアント馬場のインター・ナショナル選手権に挑戦することが内定していた。


実際、情報の早いゴング誌ではこの話題が巻頭を飾っておりプロレスファンのお年玉プレゼントになる予定であったが、そのニュース記事を上回るかのように、同誌面の特集記事において「若獅子アントニオ猪木が突如日プロから除名!その全貌を暴く」とういう暗いニュースが年末に舞い込んできたのだ。        

前年度末、昭和46年12月9日、大阪府立体育会館前に貼られていた【本日、世界選手権の出場予定のアントニオ猪木選手は右輸尿管結石症の為入院致しました。悪しからずご了承ください。尚、世界選手権に坂口征二が挑戦決定いたしました】たった1枚の張り紙で大きく私の人生が狂ってしまったといっても過言ではない。2年前の同所での猪木対ドリーNWA世界戦(両者ノーフォール時間切れ引き分け)、前年の福岡でのNWA世界戦(1-1からの時間切れ引き分け)そして遂に互いのタイトルを賭けての決着戦を楽しみにしていたその矢先、夢が目の前で大きく崩れ去ったのだ。

その時点では、ただ猪木は病欠であるので、新年から復帰して再び活躍してくれると浅はかな気持ちでいたが、突如アントニオ猪木は日本プロレスから追放されてしまう。

正直、この日から全くと言っていいほど机に向かう気持ちが薄れ、猪木さんの動向ばかり気にして毎日、駅まで大阪スポーツを買いに行き読みふける悶々とした日々が続く。

当時、多くのプロレスファンは若く素早い動きでテクニシャンの猪木プロレスを追い求めていたのは確かであり、ジャイアント馬場さんや大木金太郎のような直線的なファイトには時代的にも飽きが来ていたのである。

年が明け1月6日、当然新年からアントニオ猪木のファイトを期待して早々とチケットを既に購入していたゆえテンションは下げ下げで大阪府立体育会館に友人と行く。

ゴング誌が煽るマスカラスの弟エル・サイコデリコのファイトにだけ期待していたが評判倒れそのもの。さらにメインのインター・ナショナル選手権戦もブラジルの18番技である足をロープとロープに絡ませててのリングアウト決着。さらにこの試合で私はプロレスの見てはいけないものを見てしまうという不運にも襲われたのだ。まさに二重苦そのもであった。

さらに驚いたのは猪木さんがいない為か、会場は半分ぐらいの入り、2階席はがらがらである。当時のアントニオ猪木の人気をまさに表しているのだ。前シリーズまでのあの満員状態の大阪府立体育会館の熱気は何処へ行ってしまったのだろう。

ダラ幹部もその状況をしっかり分析し、少しは気づいたら良かったのだが、まだまだ驕りがあり、そこから悪夢は連鎖反応のように続いて行く、ファンの気持ちなど関係なくリング外のニューズはかく乱してゆく。

当時、NETの三浦甲子二専務や結婚式の媒酌を務めた三菱電機会長(代表取締役)大久保謙氏も日本プロレスに猪木を引き留めるようダラ幹達にアドバイスしたと聞く。

既に猪木の居ないリングには興味が無くこの頃から生観戦は減ってきたが、プロレス界のアンテナだけは張ったはいた。坂口がキング・クローからUN王座奪還、日本テレビが日本プロレスから撤退(NETの放送に日本テレビに何の相談も無く馬場のファイトを放映したため)、馬場、坂口組がファンク兄弟からインター・タッグを奪還、ジャイアント馬場が日本プロレスに辞表提出、馬場が全日本プロレスを旗揚げ、となんもプラスとして心に響くことは無かったが、アントニオ猪木が3月6日に大田区体育館で旗揚げしたとニュースだけは心躍ったものだ。

さらに追い打ちとして、全日本プロレスの旗揚げにドリー・ファンク・シニアが全面協力したとニュースは私の心に大きく突き刺さるものがあった。そう猪木とドリー・ファンク・ジュニアとの再戦は遠のいたなぁと・・・


年末は各団体が総力をあげての全面戦争が勃発!! そして年が明けて、全日本プロレスはジャイアント馬場にタイトルが必要ゆえ力道山ベルトの争奪戦を昔の名前で出ていますレスラー達と対戦、国際プロレスも本当のエースが決まらず、四苦八苦。テレビ中継の無いアントニオ猪木もやはり外人勢が弱く魅力が減少。

そんな中、老舗の日本プロレスはダラ幹が自らの首を絞めて始まった奈落への道をさらに加速度を増し進んでゆく。

年末にエース級の外人を呼び資金を使い倒してしまい、正月シリーズにおいてはザ・スポイラー(正体はドン・ジャーデン)、ミスターX(正体はジム・オズボーン)、マイテイヤンキーズ1号2号、レッド・デビル(ガイ・ミッチエル)ら6人が参加したが、その質は二流から三流に下落。坂口はUN王座戦をミスターX相手に後楽園ホールでやる始末。各団体が外人の取り合いをするのでファンマネーは上がるが試合内容、観客動員、視聴率は下がる一方。

私は、これまでの癖でテレビチャンネルは回し見ていたが、他の事をしながらの視聴でこの頃の日本プロレスの記憶はほとんど無いに等しい、そうそれほどプロレス界に魅力が無かったのだ。いつも私もプロレスから卒業しようかとの葛藤が続く、ただいつかアントニオ猪木はやってくれると信じながら、猪木の動向だけに期待をしていた。

その間、日本プロレスにおいて力道山や豊登、馬場や猪木のタッグパートナーとしてインター・タッグ王座やアジア・タッグ王座を守って来た吉村道明の引退が決まる。


日本プロレスの話題はそれだけで、日プロ末期の次期シリーズにはジョニー・バレンタインやキラー・カール・クラップらの参戦が決まる。その間水面下においてNETが画策しながら猪木〈新日本プロレス)と坂口(日本プロレス)の合体が始まっていた。そして遂に2月8日新宿京王プラザホテルで記者会見を行い発表。その時ようやく長い長い暗黒のトンネルから抜け出せそうな光明を感じたものだった。

しかし韓国から帰って来た大木金太郎が合体を覆す。そこからの日本プロレスはタイトルのすげかえ作業をリング上、テレビの視聴者の前でこれ見よがしに進めてゆく。

ファンにとっては見てられないリング上の光景を目にすることになる。この時期NETの初代プロレス実況アナウンサーである舟橋慶一氏は当時を振り返り、どの会場へ行ってもスタッフの方が観客より多かったと語られる。



そして、坂口が保持していたベルトはすべてこのシリーズにおいて交代する。

あのBI砲(ジャイアント馬場&アントニオ猪木)が強豪外人相手に防衛してきたインター・タッグ王座は大木&坂口組からジョニー・バレンタイン&キラー・カール・クラップ組へ、そして大木&上田馬之助組へ、アジア・タッグ王座はグレート小鹿&松岡巌鉄へ、UN王座はバレンタインからなんと高千穂明久へと移る。

見え見えのタイトル移動にプロレスファンはプロレスの裏の本質を見てしまったようで、もうプロレス観戦から足を洗おうとおもった。多くのプロレスの友はすでに新しい趣味や勉強に没頭していた。

こんな、地獄のような時代を耐え忍びぬけでたのはやはりアントニオ猪木と坂口による新日

本プロレス構築だったと思える。

あれから52年経過したが、新日本プロレスから多くの日本選手が離脱した時、アントニオ猪木が格闘技に走ってしまった時など低迷期は幾度もあったが、これほどファンを置いてけぼりにされた最悪の低迷期はなかったと今でも断言できる。

この時期を耐え抜いたプロレスオールドファンには敬意を表すしかない。          





 
 
 

コメント


お問い合わせ先

​伝昭プロジェクト

TEL: (075)285-2403  (WWPクラブ) 

〒607-8341 京都市山科区西野今屋敷町27-6

bottom of page