荒馬の"蹄鉄"
- Satom
- 8月29日
- 読了時間: 7分
"テリー・ファンクのシューズは、私が見ても惚れぼれするほど素晴らしいものです。あの無造作で洒落っ気のない人のようですが、かけるべきところにはきちんと金をかけていますね"
上記コメントの主は、かつて国内外の一流レスラ
ーのリングシューズ作りを広く担っていた職人、杉本常次郎さんである。確か月刊プロレスの1979年1月号の記事で目にしたように思うが、元資料が手元になくて心許ない。杉本さんの下のお名前ももしかしたら違っていたかも…。
テリーが逝って早くも二年が経過し、日本でいう三回忌が巡ってきた。そこで全盛期のスーパーヒーローの足下を支えたシューズを振り返る事でありし日のテキサスブロンコを偲びたいと思う。
(ブロンコは人に調教されていない暴れ馬なので表題の「蹄鉄」は本来ならばふさわしくないが)
杉本さんが仰ったテリーのシューズはどれなのか写真が掲載されていなかったので特定しかねるが
おそらくこれだろう、と思う候補は二足ある。

エナメルのリングシューズが流行したのは、1970年代半ばから80年代初頭にかけてだろうか。当時米国を中心に活躍していたトップレスラーの大半が、少なくとも一足はエナメル加工したシューズを着用していた記憶がある。例外は馬場、猪木のような本格派の超大物や、アンドレ、ブッチャーなどごく一部ではなかったか。
そんなエナメルシューズの中でも、テリーが世界チャンピオン時代に履いていた一足はまさに出色の出来ばえで、その高級感、格好良さは群を抜いていた。杉本さんが惚れ込んだのはおそらくこれだろうと推測している。76年6月、蔵前で鶴田の挑戦を受けた時、トロントでハーリー・レイスに敗れて王座を転落した際に履いていたのも、この
"3色エナメル"シューズであった。
全くの余談だが、テリーが王座を奪われたのが77年2月6日、その後ごく短期間に、兄のジュニア、更に弟分のディック・スレーターがこのシューズを拝借した形跡がある。ジュニアは同月11日に セントルイスのキール・オーディトリアムに出場した際このシューズを使用しており、スレーターは同月全日プロのエキサイト・シリーズへの参加時、開幕戦(2/19)で着用する姿が確認できる。

王座転落直後のテリーは、膝の古傷の故障もあり当分は休養に専念するつもりだったのだろう。ファンクスは後にもリングシューズを交換しているし、一方のスレーターは星付きのトランクスを含め、テリーの完コピ状態だった時期だったので特に不思議はないのかもしれないが…何とも面白い現象ではある。
テリーがこのシューズ持参で最後に来日したのは78年暮れの最強タッグであった。開幕戦での
ブッチャーとのスペシャルマッチ、NWA対AWAが話題となったニック、ランザ組との公式戦、ブッチャー、シーク組との因縁の再戦、最終戦の札幌で腰を痛めながら馬場、鶴田の師弟コンビと対決したフルタイムの熱戦などが思い出される。
さて、もう一方の名シューズである白黒ツートンカラーのシューズは、テリー人気が大爆発したオープン・タッグの際に履いていた事で、強烈な印象を残している。日本のテリー信者にとっては3色エナメルよりこちらの方が思い入れが深いかもしれない。
前述の通り、世界チャンピオンの座から転落した後、暫くリングを離れていたテリーだが、3月24日のアマリロ定期戦で試運転的な復帰を果たし、徐々に他地区への参戦も再開するようになる。
5月29日にはヒューストンでニック・ボックウィンクルのAWAタイトルに挑戦しているが、この時は、まだ"白黒ツートン"はデビューしていない。

ちなみにこの5.29ヒューストン大会は、プロモーター、ポール・ボーシユが同地で興行を手掛けて10年の節目となる記念イベントで、日曜日の昼間にダウンタウンの大会場サミットで開催されるビッグマッチ。NWA・AWA両世界王者、直前までWWWF王座を保持していたサンマルチノが一同に会するほか、フリッツ・フォン・エリックとブルーザー・ブロディの一騎打ちなど、スーパー・カードが発表されていた。テリーも当初はレイスのNWA王座に挑戦する予定だったが、何とレイスが昼の興行であることを失念しており試合開始に間に合わず、急遽ニックが二試合に出場して穴を埋める(一晩でホセ・ロザリオ、テリーの二人と対戦)という大ハプニングがあった。
話しが脱線しがちだが、テリーの白黒ツートン姿が初めて映像で確認できるのは、同じくヒューストンで77年7月1日に行われたレイスとのリターン・マッチだろう。この試合はYoutubeで視聴できるが、33歳になったばかりのテリーの真新しいシューズ姿が印象的である。

77年12月のオープンタッグから80年の最強タッグまでの三年間にテリーの来日は八回を数えるが、この白黒シューズでの登場は、その内実に六回を占めている。
最後の方は紐が黒に変わり、つま先部分が剥げてきたりと、テレビや雑誌等でも分かるほどくたびれてきたが、そのシューズの状態が、レスラーとして歳を重ねるテリーとシンクロしているようで何とも言えぬ味わいがあった。

ここまでは、世界チャンピオン時代、日本でのヒーロー時代を彩った代表的なシューズ二足を中心に振り返ったが、番外編として更に三足を取り上げてみたい。
まずは来日初期の頃に履いていたシューズ二足。いずれも見た目に特徴があり、テリーというレスラーが、コスチューム面においても兄ジュニアの二番煎じではなく、自分の個性を前面に出そうとしていた事が窺える。

最後に80年春の第八回チャンピオン・カーニバル参加時に着用していたシューズ。デザイン的には白黒ツートンに似ているが、よく見ると色が黒ではなくワインレッドで、エナメル加工が施されている。靴紐とベロが共に白色なので、全体的に 明るい外見になり、テリーのキャラクターによく
似合っていた。

テリーがこのシューズを披露したのはこの時一回きりで、アメリカの試合でも見た記憶がないため離日前にゴング誌にでもプレゼントしたのかもしれない。そういえば当時読者プレゼントの告知があったような気もするが、記憶が曖昧である。
色はワインレッドと書いたが、あるいは母校ウエスト・テキサス州立大(当時)のチームカラーであるマルーンから採った可能性もある。いずれにしても、お洒落で格好良いシューズであった。
今回はリングシューズから、荒馬時代のテリーの記憶を辿ったが、思いのほか鮮明な映像が蘇ってきた。リングの上から発散されていたオーラが、それだけ強烈だったという事だろう。
数十年を経ても色褪せないイメージを遺してくれたテキサス・ブロンコに改めて感謝したい。






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