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昭和プロレス懐古 & 現代プロレスの原点ランカシャー・レスリング
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「赤いベルト」と新王者
赤いベルトといっても、全女の話しではない。 前回ご紹介した「フライング・メア・ランチ」におけるアクシデントの煽りをくい、NWA世界王座への道のりを若干狂わされたジャック・ブリスコだったが、当初の予定から四ヶ月半後の1973年7月20日、ヒューストン・コロシアムでハーリー・レイスを破って念願のベルトを奪取する。 在位期間は、途中短期間の王座転落を挟んで、約二年半。1970年代の約1/4の間、栄光のベルトはブリスコの腰に巻かれていた。 ベルトと言えば、上述のヒューストンにおける試合の前に、リング上で赤いベルベットに彩られた新型ベルトがお披露目されている。当日「引退」した旧いベルトは、オコーナー以降、ロジャース、テーズ、キニスキー、ファンク・ジュニアへ連綿と引き継がれた、黒革の流線型で重厚な造りだったが、新しいベルトはそこから更に十数年に渡り「最強の象徴」として歴代チャンピオンの腰に巻かれる事になる。後に「レイス・ベルト」とも「テン・パウンズ・オブ・ゴールド」とも呼ばれ、日本のファンにも最も馴染み深かったと思われるこのベルトだが、この日、ヒューストンの
Satom
2025年3月7日読了時間: 4分


事故が変えたタイトル史
車社会と言われるアメリカでは、その分交通事故の数も多い。表題に付けた、プロレス史を変える程のインパクトのある自動車事故として最も有名なのは、第二次大戦から数年を経た1949年、オーヴィル・ブラウンが遭遇したものだろう。ルー・テーズとの世界王座統一戦を直後に控えていたブラウンは「世紀の一戦」を欠場した後負傷癒えず事実上の引退に追い込まれる。結果として、テーズは戦わずして「新NWA(アライアンス)」王座を手にする事になった。 最も新しいところだと、いつになるか?最近といっても、2000年代以降のアメプロの動きは殆ど不案内なので私見に頼ってしまうが、1986年にマグナムTA(テリー・アレン)がやはり交通事故でレスラー生命を絶たれている。当時のNWAは既にジム・クロケット・ジュニアの個人プロモーションと化していたが、仮にマグナムが現役を続けていればNWA王座を獲得していた事はほぼ確実視されており、この事故が(2年前のデビッド・フォン・エリックの不慮の死と共に)NWAの凋落を決定付けた、という見方も出来るかと思う。 さて、前置きが長くなったが、上記二つの事
Satom
2025年2月28日読了時間: 7分


捩れた「王座移動」
「NWAの王座は人事で決まる」という意味の言葉を初めて目にしたのは、どこだったか…ハッキリした記憶はないが、櫻井康雄さんがゴング誌に載せた読み物だったかもしれない。その意味するところは、次期チャンピオン候補の中から、選手としての実力、集客力などを全米の有力プロモーター達が「査定」して、これと見込んだレスラーには、優先的に挑戦の機会が与えられる…というようなところであった。どこのテリトリーに所属している、どのプロモーターの秘蔵っ子である …といった要素が世界チャンピオンの誕生を左右する、というニュアンスの記事を、よく目にしたような気がする。 昭和が終わり、平成の時代に入って、これまでファンの目に決して触れなかった「タブー」が 白日の下に晒されるようになる。NWAのチャンピオンが、喩えではなくガチでプロモーター主導の「人事」によって選ばれていた、ということも、そうした情報の一つであった。 しかし、そこは人の世の常と言うべきか、一旦決まった「人事」もひょんな事から覆ることもあり 時としてそれらはレスラーのみならず、プロモーター間の軋轢にも発展する。1
Satom
2025年2月21日読了時間: 7分


西テキサスの名伯楽
全米プロフットボールの頂点を決するスーパーボウルが先週の日曜日(現地時間2月9日)に行われ、フィラデルフィア・イーグルス(NFCチャンピオン)がカンザスシティ・チーフス(AFCチャンピオン)を破りチーフスの三連覇を阻止した。 日本の国技が相撲なら、米国はアメフト、とよく言われるが、時代を遡れば、かつてはアメフトのスター選手からプロレス界に転向したり、二足の草鞋を履いていた選手が少なからずいた。ブロンコ・ナグルスキーはNWAチャンピオンの系譜(Association系)に名を連ね、以降もテーズの連勝記録を止めたレオ・ノメリーニ、ワフー・マクダニエル、アーニー・ラッドなど、1950年代から60年代にかけては、フィールドの名選手達がプロレス界に身を投じている。当時のマット界には、一流のフットボーラー達を惹きつけるだけの魅力があったのだろう。 プロに限らず、カレッジ・フットボールにまで裾野を広げると、一時はアメプロ界の半数近くを アメフト出身者が占めていたかもしれない。 中でもウエスト・テキサス州立大学(WTSU、現WTA&MU)のフットボール部・バッ
Satom
2025年2月14日読了時間: 5分


真冬のNWA総会(続)
表題とは全く無関係の書き出しになってしまうが 先月の大相撲初場所において、12勝3敗の成績で優勝した大関豊昇龍の横綱昇進が決定した。 直近三場所の合計勝ち星が33勝という事で、大関昇進には合格ラインながら、こと横綱昇進となるといかがなものかという意見が相撲協会審判部内でも多勢を占めたにも関わらず、高田川審判部長が最後は自らの責任で昇進を決めたという。この決定が職権の濫用にあたるか、善用なのかは来場所以降の豊昇龍の成績次第ではあるが、組織における意思決定の妙を端的に示した一例であると言えよう。 位相は横綱昇進問題とは異なるが、かつて力道山が自ら髷を切って力士を廃業した後、一年も経たない内に、角界復帰の機運が醸成された事があった。当時横綱だった東富士と千代はの山は、復帰を切望する力道山を受け入れる姿勢を見せており、何よりも、戦後の新国技館復興に大きく尽力し、角界にとって大功労者の一人であった新田新作の口添えもあった事から、同じく体調不良により角界を去っていた元大関増井山共々、力道山の復帰はほぼ内定していたという。しかし力士会会長を務めていたもう一人
Satom
2025年2月7日読了時間: 10分


真冬のNWA総会
NWA総会と言えば毎年8月、せいぜい秋口までに行われるイメージが強いが、唯一真冬にも開催された年があった。(正式には総会ではなく、臨時役員会だが) その年とは、1973年。議題は全日本プロレスのNWA加盟について。この臨時役員会は、電話会議として開催・評決されたという説もあったが、最近の資料からは、当時NWA本部の置かれていたセントルイスに主要メンバーが実際に参集した事が明らかになっている。*1) この会議の仕掛け人は、広く知られている通り、アマリロ地区のプロモーターで、当時世界チャンピオンだったドリー・ファンク・ジュニアの父であるファンク・シニアであった。 シニアの「全日本推し」はいつから始まったのか? 時系列を辿ると、NETのプロレス中継に 自身の登場を許可した日プロの首脳陣に対し異を唱えたジャイアント馬場が、自身の団体を興すと発表したのが前年(1972年)の7月29日。この時点で日本テレビのバックアップを得ていた馬場は当初外国人レスラーのブッキングをLA在住のミスター・モトに依頼、内諾を得ていたが、翌月8月初旬にラスヴェガスで行われたNWA
Satom
2025年1月31日読了時間: 8分


早すぎた最強タッグ
この風格と貫禄…歴代のインター・タッグチャンピオンの中でもダントツではないか。無敵のBI砲が初の完敗を喫したのもうなづける。しかもこの二人は、アメリカで組んだ実績は全くなかったという。恐るべし…。(この写真も、藤井敏之さん所有のコレクションからお借りしたものです) ウィルバー・スナイダーとダニー・ホッジが揃って来日したのは1969年(昭和44年)の正月。 アポロ11号が月に着陸する直前である。 BIコンビとは四回対戦して一勝二敗一引き分けの成績を残した。この時スナイダー39歳、ホッジ 36歳。日本テレビではこの連戦の映像は残っていないのか、試合を一回も観た記憶がない。 最後の対戦となった秋田県立体育館には、1万3千人(!)の大観衆が詰めかけたとされる。*1)主催者発表だとしても県立体育館の「ハコ」ってそんなに広いのか?、知らんけど。雑誌等に掲載された対戦写真には、立錐の余地のない館内の様子が写っているが、これが秋田の一戦かと一人合点する。 いずれにしても強豪同士が日本でタッグを組んだ例としては、翌年暮れのキニスキー、バレンタイン組に匹敵すると思わ
Satom
2025年1月25日読了時間: 4分


続・ジャイアント台風
新春・馬場シリーズの三回目は、「たられば」の話しをさせて頂く。もし力道山があのタイミングで世を去っていなければ、その後の日米マット事情はどのように推移していたか…?である。 まず「力道山が存命であれば起こらなかっただろう」ことについて、ランダムに挙げてみたい。...
Satom
2025年1月17日読了時間: 7分


力道山の師匠(後篇)
「入門から敗戦時までの力道山は、とても素直でいい子で稽古熱心だった。だが敗戦後は気持ちが変わったのか、性格は一変した」 岡村正史氏の著作「力道山」の冒頭に登場する、玉ノ海の述懐である。半島から船で渡って来た 力道山を下関で出迎え、親方付けの直弟子として一から育て上げた師匠の...
Satom
2024年12月27日読了時間: 6分
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