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昭和プロレス懐古 & 現代プロレスの原点ランカシャー・レスリング
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真冬のNWA総会
NWA総会と言えば毎年8月、せいぜい秋口までに行われるイメージが強いが、唯一真冬にも開催された年があった。(正式には総会ではなく、臨時役員会だが) その年とは、1973年。議題は全日本プロレスのNWA加盟について。この臨時役員会は、電話会議として開催・評決されたという説もあったが、最近の資料からは、当時NWA本部の置かれていたセントルイスに主要メンバーが実際に参集した事が明らかになっている。*1) この会議の仕掛け人は、広く知られている通り、アマリロ地区のプロモーターで、当時世界チャンピオンだったドリー・ファンク・ジュニアの父であるファンク・シニアであった。 シニアの「全日本推し」はいつから始まったのか? 時系列を辿ると、NETのプロレス中継に 自身の登場を許可した日プロの首脳陣に対し異を唱えたジャイアント馬場が、自身の団体を興すと発表したのが前年(1972年)の7月29日。この時点で日本テレビのバックアップを得ていた馬場は当初外国人レスラーのブッキングをLA在住のミスター・モトに依頼、内諾を得ていたが、翌月8月初旬にラスヴェガスで行われたNWA
Satom
2025年1月31日読了時間: 8分


早すぎた最強タッグ
この風格と貫禄…歴代のインター・タッグチャンピオンの中でもダントツではないか。無敵のBI砲が初の完敗を喫したのもうなづける。しかもこの二人は、アメリカで組んだ実績は全くなかったという。恐るべし…。(この写真も、藤井敏之さん所有のコレクションからお借りしたものです) ウィルバー・スナイダーとダニー・ホッジが揃って来日したのは1969年(昭和44年)の正月。 アポロ11号が月に着陸する直前である。 BIコンビとは四回対戦して一勝二敗一引き分けの成績を残した。この時スナイダー39歳、ホッジ 36歳。日本テレビではこの連戦の映像は残っていないのか、試合を一回も観た記憶がない。 最後の対戦となった秋田県立体育館には、1万3千人(!)の大観衆が詰めかけたとされる。*1)主催者発表だとしても県立体育館の「ハコ」ってそんなに広いのか?、知らんけど。雑誌等に掲載された対戦写真には、立錐の余地のない館内の様子が写っているが、これが秋田の一戦かと一人合点する。 いずれにしても強豪同士が日本でタッグを組んだ例としては、翌年暮れのキニスキー、バレンタイン組に匹敵すると思わ
Satom
2025年1月25日読了時間: 4分


続・ジャイアント台風
新春・馬場シリーズの三回目は、「たられば」の話しをさせて頂く。もし力道山があのタイミングで世を去っていなければ、その後の日米マット事情はどのように推移していたか…?である。 まず「力道山が存命であれば起こらなかっただろう」ことについて、ランダムに挙げてみたい。...
Satom
2025年1月17日読了時間: 7分


力道山の師匠(後篇)
「入門から敗戦時までの力道山は、とても素直でいい子で稽古熱心だった。だが敗戦後は気持ちが変わったのか、性格は一変した」 岡村正史氏の著作「力道山」の冒頭に登場する、玉ノ海の述懐である。半島から船で渡って来た 力道山を下関で出迎え、親方付けの直弟子として一から育て上げた師匠の...
Satom
2024年12月27日読了時間: 6分


昇龍出陣の地
扉の写真はもう30年近く前のものだが、テキサス州のHerefordという町にあるブル・バーンという建物の前で撮ったものである。記録によると、1979年の末頃までは週に一度、土曜日の夜にここでプロレスの興行が行われていた。 興行といっても、近郊のアマリロやラボックに比べると出場する選手も少なく、全カードで精々三試合といったところ。第一試合と第二試合がシングルマッチで、メインは一試合目と二試合目に出場した選手同士を組み合わせたタッグマッチというパターンも多かったようである。更にタッグマッチを外して、シングル二試合のみ、という事もあった。いずれの場合も、選手は4人いれば事足りる。 Herefordの中心産業は牧畜で、広大な土地に放牧された牛の数の方が、人口よりも多い可能性すらあるくらい小規模な町(1970年代の人口は1万人台)なので、観客動員もおそらく100〜200人、入っても250人程度だったのではないか。平均入場料が3ドルとして、チケットの売上も大体想像がつく。採算の問題から他の街のように6〜7試合は組めない。 プロレス雑誌や書籍では「ヘレフォード
Satom
2024年12月6日読了時間: 6分


「NWA vs WWA」
プロレス界における世界タイトルの統一戦と言えば、どんな試合が脳裏に浮かぶだろうか。昭和末期の約10年間のスパンで見ると、1978年の1月に行われたハーリー・レイスとスーパースター・ビリー・グラハムの一戦(NWA-WWWF)を皮切りに、レイスとボブ・バックランドの一連の試合(同)、或いは1979年のニック-バックランド戦(AWA-WWF)などが思い出される。 以上の試合は、いずれも当時のゴング誌などで巻頭ページを割いて報道されたので、記憶に留めておられる方も多いと思うが、更に時代を遡って、例えば1940年代以降、全米規模で丹念に記録を探せば、果たしてどのくらいの「統一戦」が出てくるだろうか。見当もつかないが、地元のファン以外には知られていなかった「世紀の一戦」は、恐らく数十試合を下らないような気がする。 前置きが長くなったが、前回(WWA史外伝)の続きに戻りたい。1964年10月5日、アルバカーキで「チャンピオン」フレッド・ブラッシーを破ったドリー・ファンク・ジュニアの初防衛戦の相手は、NWA王者ルー・テーズ、試合は11月9日に同所のシビック・オー
Satom
2024年12月1日読了時間: 3分


★山科銀座商店街“復活祭”参加レポート
令和6年11月17日(日)に開催された山科銀座商店街を1日限定復活させよう❣ “昭和にタイムスリップしよう”というイベントにプロレス美術館・湯沢館長と伝承プロジエクト(ライレージム京都・松並代表&昭和プロレス館・藤井敏之)が協力し、昭和プロレス関連のポスターを会場に貼り当時...
Toshiyuki Fujii
2024年11月24日読了時間: 2分


知られざる日本初登場前のタイガー・ジエット・シンの戦績 Part3: 猪木、シン出世試合は共通の敵“金髪の妖気”ジョニー・バレンタインだった!!
昭和41年11月19日大阪球場でのアントニオ猪木とジョニー・バレンタインの対決 不思議な縁とはこのことだろう、1973年5月新日本プロレスのリング上で初めて相対したアントニオ猪木とタイガー・ジエット・シンのそれまでの過去の歴史を辿れば魔訶不思議な因縁が見えてくるのである。...
Toshiyuki Fujii
2024年11月23日読了時間: 4分
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Eメール: doryfunkjr69@gmail.com
事務局
TEL: (075)285-2403 (WWPクラブ)
〒607-8341 京都市山科区西野今屋敷町27-6
Eメール: rilygymkyoto@gmail.com
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