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昭和プロレス懐古 & 現代プロレスの原点ランカシャー・レスリング
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4/26開幕!「CAC特別編へようこそ」
開幕2週間前! 今年も ホホホ座浄土寺店 での展示&トークイベントの季節がやってきました。 今回は店内展示に加えて、ホホホ座2階のハイネストビル26号室での特別展示、 2日間のトークイベント 開催の豪華版です! ハイネストビル26号室(ホホホ座の2F)...

Riley's Gym Kyoto
2025年4月12日読了時間: 2分


怪人の足跡
前回から時を遡って、プロレス入りする前のザ・シークと、リング生活前半のキャリア、及び強豪レスラー達との対決について触れてみたい。 その出自や、若き日のエピソードについては各種媒体で既に公にされているが、1926年6月7日イースト・ランシングでレバノン移民の家庭に誕生。本名エドワード・ファーハット。11人兄弟の10番目だった。デトロイト近郊という土地柄、一家は自動車産業関連の仕事に従事していたが、兄四人が米軍に勤務した経験がある事から、自身も入隊年齢に満たない頃から生年月日を詐称し、海兵隊入りを志願したという逸話が残っている。 18歳になって間もない1944年8月に、陸軍からの徴兵を受け入隊、第93装甲偵察部隊に配属される。所属部隊は1945年1月にフランス駐留米軍の支援部隊の一つとして派遣され、現地で指揮を振るっていたパットン将軍の傘下に入る。テキサス州のキャンプ・ボゥイでの訓練を終えたエドワードが同年4月、現地で部隊に合流した時、欧州戦線はベルリンにおける最後の戦いを迎えようとしていた。ベルリンは翌月、主に赤軍(ソ連軍)の猛攻撃により陥落するが
Satom
2025年4月11日読了時間: 8分


ザ・シークというアジール
「モノの怪に憑かれたように中空を睨みます、ザ・シーク」 清水アナウンサーの落ち着いた実況がホノルルの名会場HICのリングに向かって響く…1972年9月20日、日本テレビの海外収録試合。全日本プロレス旗揚げを翌月に控えたデモンストレーションとして、リング上で睨み合うG馬場とザ・シーク。 例によってゴングがなるまで時間がかかり、結果は両者反則に終わっているが、リングサイドに詰めかけた日系ファンの熱量が伝わってくる。 新団体旗揚げに向けての煽り試合としては異色のカードだが、馬場の動きも良く、日プロ離脱後初の暴れっぷりを伝えるという意味ではひとまず成功と言える内容であった。 馬場はこの後米本土に渡り、アマリロで全身タイツを覆ったザ・プロフェッショナル(ハーリー・レイス)、ピッツバーグでフランク・ホルツ戦を行っている。この時期、全日プロはNWAに加盟できておらず、日プロにレギュラー参加していたレイスは正体を隠さざるを得なかったが、シークの方は全くお構いなしであった。 モノクロが似合うハワイの一戦。トップロープを軽々と飛び越えるシークに対抗するように馬場も
Satom
2025年4月4日読了時間: 8分


リアル・ブロンコバスター
前回の続きで、不慮の自動車事故によりルー・テーズとの世界統一戦のチャンスを失った悲運のレスラー、オービル・ブラウンについて書こうと思う。(尚ブラウンの経歴については、米国のプロレス歴史家・Steve Yohe氏の手記に負っていることを、予めお断りしておきたい) オービル・ブラウンは1908年3月10日、カンザス州シャロンで五人兄弟の末っ子として生まれた。父親のクラレンスはオービルが生後二週間の時に蒸発、残された母のエレンは年長の子供達の手を借りて家計を支えるが、オービルが11歳の時に病死。以降のオービルは、親戚の家を転々としながら少年時代を送ることになる。 預けられた先は牧場を営む農家が多く、牛や馬の世話に従事していたオービルは乗馬に熟練、ハイスクールを一年で中退し、ロデオ師となる。 カンザスや近郊の州を巡業し、18歳の頃にはブロンコ・ライディングとブルドッギングの両競技において名を馳せていたという。 ブルドッキングとは、馬を駆って牛を追い、馬上から牛の首に躍りかかって組み伏せるという勇壮な競技で、ご存知の通りプロレスの技にもなっている。1927
Satom
2025年3月28日読了時間: 8分


お宝ベルトの行方
Youtubeなどの動画サイトを流し見していると、しばしばもの珍しい映像に遭遇する。 添付の画像はAntiques Roadshowという長寿番組からの抜粋(2017年放送)だが、これは一般人が珍しいお品を持参して、専門家が値段を付けるという「お宝鑑定団」の西洋版のような企画である 中央に小さく写っているが、この時に出品された「お宝」は旧いチャンピオンベルトと写真類。 画面左側の男性が出品者だが、この方は「元NWA世界チャンピオン」オービル・ブラウンのお孫さんにあたる。 オービル・ブラウンと言えば、ルー・テーズとの 「NWAタイトル統一戦」(アソシエーション vsアライアンス)の直前(1949年11月)に、不慮の自動車事故で大負傷したレスラーだが、このブラウンが腰に巻いていたのが「ナショナル・レスリング・アライアンス」が認定した初代ベルト。 ナショナル・レスリング・アライアンス(NWA)といえば、1970年代から80年代にかけて、全日本プロレスのリングにおけるタイトルマッチ宣言で何度となく耳にしたキーワードであり、その名称には馴染みがあるが、なぜ
Satom
2025年3月21日読了時間: 9分


☆アントニオ猪木が”環状線の理論”を実証したシリーズ
昭和49年1月25日、大阪府立体育会館・控室至 アントニオ猪木は「環状線の理論」を提唱していました。 環状線の中のコアなプロレスファンだけでなく、その外側にいる一般市民達を引き込むことがプロレスを盛り上げるのには必要だという集客理論で、古くは1973年11月5日、新日本プロ...
Toshiyuki Fujii
2025年3月17日読了時間: 7分


「昭和プロレス展示会」17日まで!
京都プロレス美術館の湯沢館長のお宝の数々をゆっくりと御覧いただけるチャンス! イズミヤショッピングセンター六地蔵で開催中の「昭和プロレス展示会」は、17日(月)までです。 絵描きおじさんの似顔絵コーナーではアート作品をご堪能ください。アブドーラ・ザ・ブッチャーのパンツは、そ...

Riley's Gym Kyoto
2025年3月14日読了時間: 1分


NWAの転換期
初めての挑戦者にルー・テーズを迎え、華々しく全米防衛行脚を開始したジャック・ブリスコ。 その対戦相手、そして転戦したテリトリーはどこだったか? Wrestlingdata.comで調べてみた。 二年半に及ぶブリスコ在位期間の全てを網羅するのは手に余るので、追ったのは、王座奪取以降1973年の年末まで。期間でいえば僅か半年弱だがその間にタイトルマッチだけで実に87試合(!)をこなしている。対戦相手、参戦した地区は以下の通りだが、当時のNWA内の勢力図や趨勢が垣間見えて面白い。 【対戦相手十傑(タイトルマッチ数)】 1)ドリー・ファンク・ジュニア(9) 2)ジョニー・バレンタイン(5) ハーリー・レイス(5) アブドーラ・ザ・ブッチャー(5) 5) テリー・ファンク(4) ルー・テーズ(4) ホセ・ロザリオ(4) イワン・プトスキー(4) バディ・コルト(4) スパイロス・アリオン(4) 【テリトリー(タイトルマッチ数)】 1)フロリダ(CWF)
Satom
2025年3月14日読了時間: 8分


「赤いベルト」と新王者
赤いベルトといっても、全女の話しではない。 前回ご紹介した「フライング・メア・ランチ」におけるアクシデントの煽りをくい、NWA世界王座への道のりを若干狂わされたジャック・ブリスコだったが、当初の予定から四ヶ月半後の1973年7月20日、ヒューストン・コロシアムでハーリー・レイスを破って念願のベルトを奪取する。 在位期間は、途中短期間の王座転落を挟んで、約二年半。1970年代の約1/4の間、栄光のベルトはブリスコの腰に巻かれていた。 ベルトと言えば、上述のヒューストンにおける試合の前に、リング上で赤いベルベットに彩られた新型ベルトがお披露目されている。当日「引退」した旧いベルトは、オコーナー以降、ロジャース、テーズ、キニスキー、ファンク・ジュニアへ連綿と引き継がれた、黒革の流線型で重厚な造りだったが、新しいベルトはそこから更に十数年に渡り「最強の象徴」として歴代チャンピオンの腰に巻かれる事になる。後に「レイス・ベルト」とも「テン・パウンズ・オブ・ゴールド」とも呼ばれ、日本のファンにも最も馴染み深かったと思われるこのベルトだが、この日、ヒューストンの
Satom
2025年3月7日読了時間: 4分


事故が変えたタイトル史
車社会と言われるアメリカでは、その分交通事故の数も多い。表題に付けた、プロレス史を変える程のインパクトのある自動車事故として最も有名なのは、第二次大戦から数年を経た1949年、オーヴィル・ブラウンが遭遇したものだろう。ルー・テーズとの世界王座統一戦を直後に控えていたブラウンは「世紀の一戦」を欠場した後負傷癒えず事実上の引退に追い込まれる。結果として、テーズは戦わずして「新NWA(アライアンス)」王座を手にする事になった。 最も新しいところだと、いつになるか?最近といっても、2000年代以降のアメプロの動きは殆ど不案内なので私見に頼ってしまうが、1986年にマグナムTA(テリー・アレン)がやはり交通事故でレスラー生命を絶たれている。当時のNWAは既にジム・クロケット・ジュニアの個人プロモーションと化していたが、仮にマグナムが現役を続けていればNWA王座を獲得していた事はほぼ確実視されており、この事故が(2年前のデビッド・フォン・エリックの不慮の死と共に)NWAの凋落を決定付けた、という見方も出来るかと思う。 さて、前置きが長くなったが、上記二つの事
Satom
2025年2月28日読了時間: 7分


捩れた「王座移動」
「NWAの王座は人事で決まる」という意味の言葉を初めて目にしたのは、どこだったか…ハッキリした記憶はないが、櫻井康雄さんがゴング誌に載せた読み物だったかもしれない。その意味するところは、次期チャンピオン候補の中から、選手としての実力、集客力などを全米の有力プロモーター達が「査定」して、これと見込んだレスラーには、優先的に挑戦の機会が与えられる…というようなところであった。どこのテリトリーに所属している、どのプロモーターの秘蔵っ子である …といった要素が世界チャンピオンの誕生を左右する、というニュアンスの記事を、よく目にしたような気がする。 昭和が終わり、平成の時代に入って、これまでファンの目に決して触れなかった「タブー」が 白日の下に晒されるようになる。NWAのチャンピオンが、喩えではなくガチでプロモーター主導の「人事」によって選ばれていた、ということも、そうした情報の一つであった。 しかし、そこは人の世の常と言うべきか、一旦決まった「人事」もひょんな事から覆ることもあり 時としてそれらはレスラーのみならず、プロモーター間の軋轢にも発展する。1
Satom
2025年2月21日読了時間: 7分


西テキサスの名伯楽
全米プロフットボールの頂点を決するスーパーボウルが先週の日曜日(現地時間2月9日)に行われ、フィラデルフィア・イーグルス(NFCチャンピオン)がカンザスシティ・チーフス(AFCチャンピオン)を破りチーフスの三連覇を阻止した。 日本の国技が相撲なら、米国はアメフト、とよく言われるが、時代を遡れば、かつてはアメフトのスター選手からプロレス界に転向したり、二足の草鞋を履いていた選手が少なからずいた。ブロンコ・ナグルスキーはNWAチャンピオンの系譜(Association系)に名を連ね、以降もテーズの連勝記録を止めたレオ・ノメリーニ、ワフー・マクダニエル、アーニー・ラッドなど、1950年代から60年代にかけては、フィールドの名選手達がプロレス界に身を投じている。当時のマット界には、一流のフットボーラー達を惹きつけるだけの魅力があったのだろう。 プロに限らず、カレッジ・フットボールにまで裾野を広げると、一時はアメプロ界の半数近くを アメフト出身者が占めていたかもしれない。 中でもウエスト・テキサス州立大学(WTSU、現WTA&MU)のフットボール部・バッ
Satom
2025年2月14日読了時間: 5分
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