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昭和プロレス懐古 & 現代プロレスの原点ランカシャー・レスリング
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ほぼ
週刊 昭和プロレス
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疾風怒濤の荒法師
1960年代に入り、レスラーとして全盛期を迎えたキニスキーは、カナダを含めた全米規模で、その地位を不動のものにしていく。 しかし皮肉なことに、キニスキーにとって黄金の十年と総括してもよい1960年代は、物騒なアクシデントと共に幕を開けた。1961年の年明け早々、 1月3日にバンクーバーで行われたホイッパー・ビリー・ワトソンとの試合後、激昂したファンの一団がリングに雪崩れこみ、内一人が持っていたナイフでキニスキーの横腹を刺したのである。 試合後の事故の様子を伝える1961年1月4日付けNanaimo Daily News。試合は大英帝国ヘビー級王者ビリー・ワトソンにキニスキーが挑んだ一戦で、ワトソンが2-1で防衛を果たしている。見出しにある通り、"悪漢“キニスキーがカナダの大英雄ワトソンを相手にどんな凄い試合をしたのか、想像は尽きない 会場から直行した病院で治療を受けたキニスキーだったが、幸い傷は浅く入院はせずに済んだ。この事件の四日後の1961年1月7日に次男のニックが誕生、まさに波乱含みの1960年代のスタートであった。 ちなみにこの日の相手だ
Satom
2025年4月26日読了時間: 7分


CAC特別展示はお宝の山です!!
「CAC特別編へようこそ」~アントニオ猪木の受賞~ 4月26日(土曜)~5月8日(木)のGW特別展示期間において2000年から10年分のCAC(カリフラワー・アレイ・クラブ)で撮ってきた写真や関連グッズを一挙大公開。 さらにはあのジョージ・ゴーディエンコの絵画の展示も決まり...
Toshiyuki Fujii
2025年4月19日読了時間: 2分


GWトークイベント開催!
トークイベント 「CACC(キャッチ・アズ・キャッチ・キャン)」 日時: 5月5日(祝)15:00 会場: ハイネストビル2F 26号室( ホホホ座浄土寺店 の二階) 料金: ¥2,000 「プロレスは終わらない大河ドラマだ」とよく言われますが、これは主に力道山から始まる日...

Riley's Gym Kyoto
2025年4月18日読了時間: 2分


「山猫」時代のキニスキー
昭和のプロレスファンにとって、ジン・キニスキーといえば、豊登、馬場、猪木、鶴田と激闘を繰り広げた大レスラーというイメージか強い。 1928年11月生まれで、1964年春のワールド大リーグ戦に初来日した時点で三十台の半ば。写真からもその貫禄と、超一流のオーラが伝わってきた。リング上でシュミット流バックブリーカーやジャイアント・スイング、キチン・シンクにニードロップといった豪快な立体技を駆使する姿についた異名が「荒法師」。イメージにピッタリの秀逸なネーミングには、今更ながらに感心させられる。 日本のファンから見れば最初から古豪的な印象が強いため、キニスキーのグリーンボーイ時代は想像し難いが、2019年出版のG-Spirits(vol.53) に掲載された流智美さんによる未公開インタビューではプロレス入り当時の話しが詳しく語られている。今回は本記録を基に、当時の新聞記事や試合結果を加え、改めて「ルーキー時代のキニスキー」を振り返ってみたい。 1953年12月16日付けArizona Daily Star紙に掲載されたデビュー二年目のキニスキー。
Satom
2025年4月18日読了時間: 6分


4/26開幕!「CAC特別編へようこそ」
開幕2週間前! 今年も ホホホ座浄土寺店 での展示&トークイベントの季節がやってきました。 今回は店内展示に加えて、ホホホ座2階のハイネストビル26号室での特別展示、 2日間のトークイベント 開催の豪華版です! ハイネストビル26号室(ホホホ座の2F)...

Riley's Gym Kyoto
2025年4月12日読了時間: 2分


怪人の足跡
前回から時を遡って、プロレス入りする前のザ・シークと、リング生活前半のキャリア、及び強豪レスラー達との対決について触れてみたい。 その出自や、若き日のエピソードについては各種媒体で既に公にされているが、1926年6月7日イースト・ランシングでレバノン移民の家庭に誕生。本名エドワード・ファーハット。11人兄弟の10番目だった。デトロイト近郊という土地柄、一家は自動車産業関連の仕事に従事していたが、兄四人が米軍に勤務した経験がある事から、自身も入隊年齢に満たない頃から生年月日を詐称し、海兵隊入りを志願したという逸話が残っている。 18歳になって間もない1944年8月に、陸軍からの徴兵を受け入隊、第93装甲偵察部隊に配属される。所属部隊は1945年1月にフランス駐留米軍の支援部隊の一つとして派遣され、現地で指揮を振るっていたパットン将軍の傘下に入る。テキサス州のキャンプ・ボゥイでの訓練を終えたエドワードが同年4月、現地で部隊に合流した時、欧州戦線はベルリンにおける最後の戦いを迎えようとしていた。ベルリンは翌月、主に赤軍(ソ連軍)の猛攻撃により陥落するが
Satom
2025年4月11日読了時間: 8分


ザ・シークというアジール
「モノの怪に憑かれたように中空を睨みます、ザ・シーク」 清水アナウンサーの落ち着いた実況がホノルルの名会場HICのリングに向かって響く…1972年9月20日、日本テレビの海外収録試合。全日本プロレス旗揚げを翌月に控えたデモンストレーションとして、リング上で睨み合うG馬場とザ・シーク。 例によってゴングがなるまで時間がかかり、結果は両者反則に終わっているが、リングサイドに詰めかけた日系ファンの熱量が伝わってくる。 新団体旗揚げに向けての煽り試合としては異色のカードだが、馬場の動きも良く、日プロ離脱後初の暴れっぷりを伝えるという意味ではひとまず成功と言える内容であった。 馬場はこの後米本土に渡り、アマリロで全身タイツを覆ったザ・プロフェッショナル(ハーリー・レイス)、ピッツバーグでフランク・ホルツ戦を行っている。この時期、全日プロはNWAに加盟できておらず、日プロにレギュラー参加していたレイスは正体を隠さざるを得なかったが、シークの方は全くお構いなしであった。 モノクロが似合うハワイの一戦。トップロープを軽々と飛び越えるシークに対抗するように馬場も
Satom
2025年4月4日読了時間: 8分


リアル・ブロンコバスター
前回の続きで、不慮の自動車事故によりルー・テーズとの世界統一戦のチャンスを失った悲運のレスラー、オービル・ブラウンについて書こうと思う。(尚ブラウンの経歴については、米国のプロレス歴史家・Steve Yohe氏の手記に負っていることを、予めお断りしておきたい) オービル・ブラウンは1908年3月10日、カンザス州シャロンで五人兄弟の末っ子として生まれた。父親のクラレンスはオービルが生後二週間の時に蒸発、残された母のエレンは年長の子供達の手を借りて家計を支えるが、オービルが11歳の時に病死。以降のオービルは、親戚の家を転々としながら少年時代を送ることになる。 預けられた先は牧場を営む農家が多く、牛や馬の世話に従事していたオービルは乗馬に熟練、ハイスクールを一年で中退し、ロデオ師となる。 カンザスや近郊の州を巡業し、18歳の頃にはブロンコ・ライディングとブルドッギングの両競技において名を馳せていたという。 ブルドッキングとは、馬を駆って牛を追い、馬上から牛の首に躍りかかって組み伏せるという勇壮な競技で、ご存知の通りプロレスの技にもなっている。1927
Satom
2025年3月28日読了時間: 8分


お宝ベルトの行方
Youtubeなどの動画サイトを流し見していると、しばしばもの珍しい映像に遭遇する。 添付の画像はAntiques Roadshowという長寿番組からの抜粋(2017年放送)だが、これは一般人が珍しいお品を持参して、専門家が値段を付けるという「お宝鑑定団」の西洋版のような企画である 中央に小さく写っているが、この時に出品された「お宝」は旧いチャンピオンベルトと写真類。 画面左側の男性が出品者だが、この方は「元NWA世界チャンピオン」オービル・ブラウンのお孫さんにあたる。 オービル・ブラウンと言えば、ルー・テーズとの 「NWAタイトル統一戦」(アソシエーション vsアライアンス)の直前(1949年11月)に、不慮の自動車事故で大負傷したレスラーだが、このブラウンが腰に巻いていたのが「ナショナル・レスリング・アライアンス」が認定した初代ベルト。 ナショナル・レスリング・アライアンス(NWA)といえば、1970年代から80年代にかけて、全日本プロレスのリングにおけるタイトルマッチ宣言で何度となく耳にしたキーワードであり、その名称には馴染みがあるが、なぜ
Satom
2025年3月21日読了時間: 9分


☆アントニオ猪木が”環状線の理論”を実証したシリーズ
昭和49年1月25日、大阪府立体育会館・控室至 アントニオ猪木は「環状線の理論」を提唱していました。 環状線の中のコアなプロレスファンだけでなく、その外側にいる一般市民達を引き込むことがプロレスを盛り上げるのには必要だという集客理論で、古くは1973年11月5日、新日本プロ...
Toshiyuki Fujii
2025年3月17日読了時間: 7分


「昭和プロレス展示会」17日まで!
京都プロレス美術館の湯沢館長のお宝の数々をゆっくりと御覧いただけるチャンス! イズミヤショッピングセンター六地蔵で開催中の「昭和プロレス展示会」は、17日(月)までです。 絵描きおじさんの似顔絵コーナーではアート作品をご堪能ください。アブドーラ・ザ・ブッチャーのパンツは、そ...

Riley's Gym Kyoto
2025年3月14日読了時間: 1分


NWAの転換期
初めての挑戦者にルー・テーズを迎え、華々しく全米防衛行脚を開始したジャック・ブリスコ。 その対戦相手、そして転戦したテリトリーはどこだったか? Wrestlingdata.comで調べてみた。 二年半に及ぶブリスコ在位期間の全てを網羅するのは手に余るので、追ったのは、王座奪取以降1973年の年末まで。期間でいえば僅か半年弱だがその間にタイトルマッチだけで実に87試合(!)をこなしている。対戦相手、参戦した地区は以下の通りだが、当時のNWA内の勢力図や趨勢が垣間見えて面白い。 【対戦相手十傑(タイトルマッチ数)】 1)ドリー・ファンク・ジュニア(9) 2)ジョニー・バレンタイン(5) ハーリー・レイス(5) アブドーラ・ザ・ブッチャー(5) 5) テリー・ファンク(4) ルー・テーズ(4) ホセ・ロザリオ(4) イワン・プトスキー(4) バディ・コルト(4) スパイロス・アリオン(4) 【テリトリー(タイトルマッチ数)】 1)フロリダ(CWF)
Satom
2025年3月14日読了時間: 8分
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Eメール: doryfunkjr69@gmail.com
事務局
TEL: (075)285-2403 (WWPクラブ)
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