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昭和プロレス懐古 & 現代プロレスの原点ランカシャー・レスリング
Weekly
ほぼ
週刊 昭和プロレス
Since 2024
伝昭プロジェクト
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★昭和のプロレス低迷期はこの時代だと断言できる!!
昭和48年3月3日、近代記念館でグレート小鹿&松岡頑鉄がアジア・タッグ王者になる。 すでに新春チャンピオンシリーズの日程とタイトルマッチが決まっていた昭和47年の新春 、1月5日の名古屋大会(名古屋・愛知県体育館)と1月6日の大阪大会(大阪府立体育会館)に特別参戦として現NWA認定USヘビー級チャンピオンの”黒い魔人”ボボ・ブラジルと現WWWFヘビー級チャンピオンの”魔豹”ペドロ・モラレスが来日し、名古屋ではペドロ・モラレスがアントニオ猪木のUN王座に挑戦。大阪ではボボ・ブラジルがジャイアント馬場のインター・ナショナル選手権に挑戦することが内定していた。 実際、情報の早いゴング誌ではこの話題が巻頭を飾っておりプロレスファンのお年玉プレゼントになる予定であったが、そのニュース記事を上回るかのように、同誌面の特集記事において「若獅子アントニオ猪木が突如日プロから除名!その全貌を暴く」とういう暗いニュースが年末に舞い込んできたのだ。 前年度末、昭和46年12月9日、大阪府立体育会館前に貼られていた【本日、世界選手権の出場予定のアントニオ
Toshiyuki Fujii
2025年10月8日読了時間: 7分


『超・燃える闘魂アントニオ猪木展』 ご来展のお礼と今後の企画と反省点
★左から湯沢館長、ライレージム京都マネージャー藤井、ライレージム京都松並代表 阪神梅田本店 8階 催事場「超・燃える闘魂アントニオ猪木展」8月8日(金)~8月15日(月)開催するに、IGF(猪木元気工場)のエグゼクティブディレクター宇田川強氏から、今年の猪木イベントにおいて九州、大阪、東京の開催日程が重なる為、大阪のイベントをお任せするとの相談を春頃にお受けした。 相談の上、京都ライレー・ジムの松並代表と藤井マネージャー、そしてプロレス美術館の湯沢館長でタッグを組み企画から展示までを喜んで受理。 当初は展示場の広さや展示できるスペースなど解らぬまま、とにかく関西、大阪で行われた猪木さんの試合を中心にした展示にしようと決め準備をスタートする。 まずはポスター、チケットに関して、これまでは単純に展示してあっただけの会場が多かったので、付加価値としてその日行われたカードやそのシリーズに起こったトピックスをポスターに記載し、さらには関連写真も貼り付けてお客様により良く分かるようしようと作業をスターとした。 さらにはこれまで大阪で行われた名勝負のコーナー、
Toshiyuki Fujii
2025年10月6日読了時間: 5分


「ダラ幹」考
前回の九州山から間が空いてしまったが、再び 日本プロレス時代の話題を取り上げてみたい。 表題の「ダラ幹」は昭和ファンには旧知の言葉で長らくプロレス用語として認知されている。*1) 昭和46年末、日プロの「社内改革」*2)において馬場、猪木らをはじめとするレスラー達が芳の里遠藤幸吉、吉村道明ら経営幹部を糾弾した時に使われた言葉だが、その実情はどうだったのか? 近年は当時の状況に関して、新たな証言や解釈も 明らかになってきた。力道山の逝去に伴い、急遽始動した「トロイカ体制(上記三人に豊登を加えた四幹部)」の発足まで遡り、その功罪について改めて見直すには良い機会かもしれない。 トロイカ体制誕生に至る経緯については、複数の説がある*3)が、当時の流れを記録した報道を 照会すると、力道山の死の翌日に営まれた仮通夜の席で、新体制の構想が早くも語られている。 その背景には、グレート東郷による日プロ乗っ取りを警戒した四人が東郷排斥に向け一致団結した事情(動機)があったと見るのが妥当だろう。 事実、トロイカ体制発足後の初動は二点に集約 された。東郷の放遂と(第二次
Satom
2025年10月3日読了時間: 16分


九州山とは何か
日本のプロレス史を紐解く上で、重要な人物、鍵となる人物は数多くいる(いた)。勿論その多くは他界しており、今、その貴重な証言をきくことは叶わない。中には、生前インタビューに応えて興味深いエピソードを披露してくれた例もあるが反対にメディアへの露出が極端に限られていたケースも少なくない。 後者の代表の一人が、九州山ではないだろうか。旧くからの書物などで、度々その姿を見てはいるのだが、意外と本人について書かれた読みものやインタビュー記事に触れた記憶はない。そこで、黎明期の日本プロレス界における氏の立ち位置や役割を自分なりに掘り下げ、その存在の何たるかについて一考したいと思う。 九州山が角界出身であることは、その名前からもオールド・ファンの方は先刻ご承知とは思うが、昭和五年から二十年まで約15年間の力士生活で 最高位は小結。無双の横綱双葉山をはじめ玉錦、羽黒山など歴代の横綱を破る殊勲の星を挙げて いる。 昭和十四年から十六年まで二年にわたり現役生活を中断、陸軍兵士として中国大陸に渡っていたが力士としてまさに最盛期を迎えようという時期のブランクは何とも惜しま
Satom
2025年9月12日読了時間: 10分


荒馬の"蹄鉄"
"テリー・ファンクのシューズは、私が見ても惚れぼれするほど素晴らしいものです。あの無造作で洒落っ気のない人のようですが、かけるべきところにはきちんと金をかけていますね" 上記コメントの主は、かつて国内外の一流レスラ ーのリングシューズ作りを広く担っていた職人、杉本常次郎さんである。確か月刊プロレスの1979年1月号の記事で目にしたように思うが、元資料が手元になくて心許ない。杉本さんの下のお名前ももしかしたら違っていたかも…。 テリーが逝って早くも二年が経過し、日本でいう三回忌が巡ってきた。そこで全盛期のスーパーヒーローの足下を支えたシューズを振り返る事でありし日のテキサスブロンコを偲びたいと思う。 (ブロンコは人に調教されていない暴れ馬なので表題の「蹄鉄」は本来ならばふさわしくないが) 杉本さんが仰ったテリーのシューズはどれなのか、写真が掲載されていなかったので特定しかねるが おそらくこれだろう、と思う候補は二足ある。 左はNWA世界チャンピオン時代に多用した3色のエナメルシューズ。右は77年のオープン・タッグで初お目見えし、その後も四年近く履い
Satom
2025年8月29日読了時間: 7分


地殻変動-1983・夏
年を経てくると、年月の過ぎる早さに驚くばかりだが、21世紀もあっという間に四半世紀が経ってしまった。「2000年問題」とか言われていたのが、つい最近のことのように思えてしまうのだが…💦まして1980年代と言えば、もうすっかり昔のことなのに、個人的にはあまり風化した感じがしないのが不思議である。 そんな80年代のプロレス界において鮮烈に記憶に残っている年、そして季節はいつになるだろう。もちろん様々な答えが出てくるだろうが「1983年の夏」というのは、多くの昭和プロレスファンの心に深い印象を残しているのではないだろうか? 国際プロレスは二年前に消滅し、この時点で日本のプロレス団体は新日本、全日本の二つのみ。 その両団体を代表する超人気レスラータイガーマスクとテリー・ファンクがそれぞれリングから去ったのが、この1983年の夏であった。丁度同じタイミングで月刊から転じた「週刊プロレス」創刊号の表紙もこの二人である。 テリーの引退は三年前からの既定事項で、この年も三回に渡り「お別れシリーズ」に参戦していたが、タイガーマスクは唐突に新日本への訣別を表明した
Satom
2025年8月17日読了時間: 7分


超・燃える闘魂アントニオ猪木展開催
いよいよ阪神百貨店8階催事場にて「超・燃える闘魂アントニオ猪木展」8月8日(金)から8月18日(月)まで開催される運びとなりました。 IGF(株式会社猪木元気工場)エグゼクティブディレクター宇田川氏の意向に賛同・協力させて頂くことになり、ライレージム京都&伝昭プロジェクトは勿論、さらにはプロレス美術館の館長にも力を貸して頂くことになり、春頃から練ってまいりました。 2年前より同所で行われた猪木展よりスケールアップした展示スペースにおいて、浪速で活躍されたアントニオ猪木の若獅子時代から燃える闘魂へ、そして不滅の闘魂へ移り行く姿を当時のポスターやパンフレット、チケット、珍品他の展示、さらにはアントニオ猪木の日本プロレス時代のライバルであった”白覆面の魔王”ザ・デストロイヤー、”テキサスの若馬”ドリー・ファンク・ジュニア、新日本プロレス時代のライバルであった”インドの狂虎”タイガー・ジエット・シン、”黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャー、”流星仮面”マスクド・スーパースター、”皇帝戦士”ビッグ・バン・ベイダーらのリング衣装や覆面を賛同頂いた各地のプロ
Toshiyuki Fujii
2025年8月6日読了時間: 3分


超人神話のプロローグ
ハルク・ホーガン死去のニュースを見てからまだ一週間しか経っていない。ちょうど一年前の7月米大統領選を数ヶ月後に控えた共和党の党大会に登場し、トランプ候補(当時)の横でTシャツを破き健在ぶりを示していたが…享年71歳。 前回のハンセン、ブロディに続いて連続でニューヨークが舞台となるが、今回はホーガンのMSGデビューの際の話しを中心に記したい。 ホーガンのMSG初登場は1979年12月17日、相手は同年春からWWF(当時)で中堅のポジションにいたテッド・デビアスだった。試合は20分一般勝負で行われ、シュミット流バック・ブリーカーからベア・ハッグでデビアスを捕らえたホーガンがギブアップを奪い、勝利を飾る。 白づくめのスタイルでMSGデビューを飾ったホーガン。この試合に先立つトライアウトのTVマッチではロングタイツ姿だったがここではショートで登場。1980年代目前、「超人」の躍進はここから始まった この日は年内最後のMSG定期戦とあって、豪華なカードが目白押し。WWFと提携していた新日プロからも猪木、藤波、坂口、長州の四人が参戦したほか、WWFチャンピオ
Satom
2025年8月1日読了時間: 6分


超獣コンビ@WWWF ---後篇
前回は、東部のメジャー団体WWWFに初進出したハンセンが、MSGデビュー戦でいきなりサンマルチノの首を負傷させ、長期欠場に追い込んだところまで記した。 サンマルチノ自身の取りなしもあって、同地区からの追放は逃れたハンセンだったが、翌日からはファンのブーイングは勿論、鉄板のベビーフェイスたるサンマルチノの不在により、観客減を懸念するプロモーターのマクマホン、仲間のレスラー達の非難の目に耐えつつ、試練のサーキットを続けることになる。 サンマルチノの復帰戦は、6月25日、ニューヨーク、シェイ・スタジアムにおけるビッグマッチに決定する。当日はモハメッド・アリとアントニオ猪木が合いまみえる世紀の一戦をクローズド・サーキットで中継するほか、スタジアムではアンドレ・ザ・ジャイアントとチャック・ウェップナーの対戦が早々に告知されていた。しかしサンマルチノの負傷が深刻で、当日の出場が不安視されたことからチケットの売れ行きは期待に反して鈍かったという。 当日の観客動員を万全にするためには、絶対的なヒーロー・サンマルチノの参戦は不可欠、そして復帰戦の相手としては必然的
Satom
2025年7月18日読了時間: 10分


超獣コンビ@WWWF
「超獣コンビ」というネーミングが日本で定着したのはいつ頃だったろうか? 1981年の暮れにスタン・ハンセンが全日本へ電撃移籍を果たし、翌82年春にブルーザー・ブロディとのタッグが日本で初めて実現してからの呼び名であることは間違いなさそうだが、日本テレビの中継(倉持アナ実況)では主に「ミラクルパワーコンビ」と呼ばれていたような気もする。 ということは「超獣コンビ」の方は主に活字で目にしていたのかもしれないが、いずれにしても記憶が曖昧で思い出せない。 今回レビューしたいのは、日本での再合体から5年遡った1976年のハンセンとブロディ。舞台はニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデンやボストン・ガーデンなどの大会場を擁する、米国東海岸のメジャー団体WWWFである。 前年(75年)までビル・ワットの仕切るトライステート地区でタッグを組んでいた二人だが、夏にはチームを解消。ハンセンは短期のアマリロを挟んで秋に全日本→年末・年始にかけダラス、ブロディ(フランク・グーディッシュ)は秋にアマリロ→翌76年初めにフロリダと、それぞれ別コースを転戦する。.
Satom
2025年7月7日読了時間: 10分


アマとプロの垣根---後篇
先回は、アマチュアレスリングの強豪選手を輩出している米国・オクラホマ州において、ディック・ハットン、ダニー・ホッジと並び称されるレジェンド・上武洋次郎氏について触れた。オクラホマ州立大(OSU)に1964〜66年の三シーズン在籍、途中東京オリンピックでの金メダル獲得を挟み、フリースタイル・バンタム級において57勝0敗という驚異の戦績を記録した上武氏は、そもそもなぜ同大に籍を置くようになったのか? 2012年に刊行された「日本レスリングの物語」という本の中で、OSUと日本の縁が詳らかにされている。以下、本編で記すことの多くが本書及び、同じく2012年発売のFight&Life誌(Vol.31)からの引用であることを、予めおことわりしておく。 「1964年のジャイアント馬場」「1976年のアントニオ猪木」「1985年のクラッシュ・ギャルズ」を著した柳澤健さんの快作。嘉納治五郎の秘書だった八田一郎が講道館から独立して、日本にレスリング競技を根付かせるまでの黎明期と東京五輪で大輪の花を咲かせるシーンが特に読み応えあり。妙な喩えだが古事記に代表される日本神
Satom
2025年7月1日読了時間: 9分


御礼★アントニオ猪木を語り継ぐ伝承の会・関西特別講演会にご参加頂き有難うございました。
この6月7日(土曜)開催しました“アントニオ猪木を語り継ぐ伝承の会(関西特別講演会)に多数ご参加頂き本当に有り難うございました。 みなさまのおかげをもちましてトークイベントも大いに盛り上がりました。関西在中の猪木ファンにおいて、どうしても関東で開催される猪木関連トークイベントに参加したくとも日程、休みの都合、交通費などの問題でやむなく諦め気味でした。そんな中、関東で定期的に開催されているいる伝承の会、主催者である舟橋慶一氏より、一度関西でやってみようとの相談を受け、日程、舟橋氏の体調,など加味しながら今年の2月における猪木啓介氏IGF社長就任パーティにおいて、6月7日の開催と決め、約4か月の準備期間を経てなんとか開催に漕ぎつけました。 多くのアントニオ猪木ファン、そしてあの時代、舟橋氏の実況を聞き入りテレビプロレスを見ていたファンが懐かしさやあの当時の秘話を聞きたく集まって頂き、久々、大阪での猪木祭りとなりました。 又、特別ゲストの河内家菊水丸氏の軽快なトークにより1995年にアントニオ猪木氏の意向に同調され北朝鮮平和の祭典に参加された時の興味深
Toshiyuki Fujii
2025年6月25日読了時間: 3分
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Eメール: doryfunkjr69@gmail.com
事務局
TEL: (075)285-2403 (WWPクラブ)
〒607-8341 京都市山科区西野今屋敷町27-6
Eメール: rilygymkyoto@gmail.com
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