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昭和プロレス懐古 & 現代プロレスの原点ランカシャー・レスリング
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ほぼ
週刊 昭和プロレス
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荒馬の"蹄鉄"
"テリー・ファンクのシューズは、私が見ても惚れぼれするほど素晴らしいものです。あの無造作で洒落っ気のない人のようですが、かけるべきところにはきちんと金をかけていますね" 上記コメントの主は、かつて国内外の一流レスラ ーのリングシューズ作りを広く担っていた職人、杉本常次郎さんである。確か月刊プロレスの1979年1月号の記事で目にしたように思うが、元資料が手元になくて心許ない。杉本さんの下のお名前ももしかしたら違っていたかも…。 テリーが逝って早くも二年が経過し、日本でいう三回忌が巡ってきた。そこで全盛期のスーパーヒーローの足下を支えたシューズを振り返る事でありし日のテキサスブロンコを偲びたいと思う。 (ブロンコは人に調教されていない暴れ馬なので表題の「蹄鉄」は本来ならばふさわしくないが) 杉本さんが仰ったテリーのシューズはどれなのか写真が掲載されていなかったので特定しかねるが おそらくこれだろう、と思う候補は二足ある。 左はNWA世界チャンピオン時代に多用した3色の エナメルシューズ。右は77年のオープン・タッグで初お目見えし、その後も四年近く履い
Satom
2025年8月29日読了時間: 7分


地殻変動-1983・夏
年を経てくると、年月の過ぎる早さに驚くばかりだが、21世紀もあっという間に四半世紀が経ってしまった。「2000年問題」とか言われていたのが、つい最近のことのように思えてしまうのだが…💦まして1980年代と言えば、もうすっかり昔のことなのに、個人的にはあまり風化した感じがしないのが不思議である。 そんな80年代のプロレス界において鮮烈に記憶に残っている年、そして季節はいつになるだろう。もちろん様々な答えが出てくるだろうが「1983年の夏」というのは、多くの昭和プロレスファンの心に深い印象を残しているのではないだろうか? 国際プロレスは二年前に消滅し、この時点で日本のプロレス団体は新日本、全日本の二つのみ。 その両団体を代表する超人気レスラータイガーマスクとテリー・ファンクがそれぞれリングから去ったのが、この1983年の夏であった。丁度同じタイミングで月刊から転じた「週刊プロレス」創刊号の表紙もこの二人である。 テリーの引退は三年前からの既定事項で、この年も三回に渡り「お別れシリーズ」に参戦していたが、タイガーマスクは唐突に新日本への訣別を表明した
Satom
2025年8月17日読了時間: 7分


超・燃える闘魂アントニオ猪木展開催
いよいよ阪神百貨店8階催事場にて「超・燃える闘魂アントニオ猪木展」8月8日(金)から8月18日(月)まで開催される運びとなりました。 IGF(株式会社猪木元気工場)エグゼクティブディレクター宇田川氏の意向に賛同・協力させて頂くことになり、ライレージム京都&伝昭プロジェクトは勿論、さらにはプロレス美術館の館長にも力を貸して頂くことになり、春頃から練ってまいりました。 2年前より同所で行われた猪木展よりスケールアップした展示スペースにおいて、浪速で活躍されたアントニオ猪木の若獅子時代から燃える闘魂へ、そして不滅の闘魂へ移り行く姿を当時のポスターやパンフレット、チケット、珍品他の展示、さらにはアントニオ猪木の日本プロレス時代のライバルであった”白覆面の魔王”ザ・デストロイヤー、”テキサスの若馬”ドリー・ファンク・ジュニア、新日本プロレス時代のライバルであった”インドの狂虎”タイガー・ジエット・シン、”黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャー、”流星仮面”マスクド・スーパースター、”皇帝戦士”ビッグ・バン・ベイダーらのリング衣装や覆面を賛同頂いた各地のプロ
Toshiyuki Fujii
2025年8月6日読了時間: 3分


超人神話のプロローグ
ハルク・ホーガン死去のニュースを見てからまだ一週間しか経っていない。ちょうど一年前の7月米大統領選を数ヶ月後に控えた共和党の党大会に登場し、トランプ候補(当時)の横でTシャツを破き健在ぶりを示していたが…享年71歳。 前回のハンセン、ブロディに続いて連続でニューヨークが舞台となるが、今回はホーガンのMSGデビューの際の話しを中心に記したい。 ホーガンのMSG初登場は1979年12月17日、相手は同年春からWWF(当時)で中堅のポジションにいたテッド・デビアスだった。試合は20分一般勝負で行われ、シュミット流バック・ブリーカーからベア・ハッグでデビアスを捕らえたホーガンがギブアップを奪い、勝利を飾る。 白づくめのスタイルでMSGデビューを飾ったホーガン。この試合に先立つトライアウトのTVマッチではロングタイツ姿だったがここではショートで登場。1980年代目前、「超人」の躍進はここから始まった この日は年内最後のMSG定期戦とあって、豪華なカードが目白押し。WWFと提携していた新日プロからも猪木、藤波、坂口、長州の四人が参戦したほか、WWFチャンピオ
Satom
2025年8月1日読了時間: 6分


超獣コンビ@WWWF ---後篇
前回は、東部のメジャー団体WWWFに初進出したハンセンが、MSGデビュー戦でいきなりサンマルチノの首を負傷させ、長期欠場に追い込んだところまで記した。 サンマルチノ自身の取りなしもあって、同地区からの追放は逃れたハンセンだったが、翌日からはファンのブーイングは勿論、鉄板のベビーフェイスたるサンマルチノの不在により、観客減を懸念するプロモーターのマクマホン、仲間のレスラー達の非難の目に耐えつつ、試練のサーキットを続けることになる。 サンマルチノの復帰戦は、6月25日、ニューヨーク、シェイ・スタジアムにおけるビッグマッチに決定する。当日はモハメッド・アリとアントニオ猪木が合いまみえる世紀の一戦をクローズド・サーキットで中継するほか、スタジアムではアンドレ・ザ・ジャイアントとチャック・ウェップナーの対戦が早々に告知されていた。しかしサンマルチノの負傷が深刻で、当日の出場が不安視されたことからチケットの売れ行きは期待に反して鈍かったという。 当日の観客動員を万全にするためには、絶対的なヒーロー・サンマルチノの参戦は不可欠、そして復帰戦の相手としては必然的
Satom
2025年7月18日読了時間: 10分


超獣コンビ@WWWF
「超獣コンビ」というネーミングが日本で定着したのはいつ頃だったろうか? 1981年の暮れにスタン・ハンセンが全日本へ電撃移籍を果たし、翌82年春にブルーザー・ブロディとのタッグが日本で初めて実現してからの呼び名であることは間違いなさそうだが、日本テレビの中継(倉持アナ実況)では主に「ミラクルパワーコンビ」と呼ばれていたような気もする。 ということは「超獣コンビ」の方は主に活字で目にしていたのかもしれないが、いずれにしても記憶が曖昧で思い出せない。 今回レビューしたいのは、日本での再合体から5年遡った1976年のハンセンとブロディ。舞台はニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデンやボストン・ガーデンなどの大会場を擁する、米国東海岸のメジャー団体WWWFである。 前年(75年)までビル・ワットの仕切るトライステート地区でタッグを組んでいた二人だが、夏にはチームを解消。ハンセンは短期のアマリロを挟んで秋に全日本→年末・年始にかけダラス、ブロディ(フランク・グーディッシュ)は秋にアマリロ→翌76年初めにフロリダと、それぞれ別コースを転戦する。.
Satom
2025年7月7日読了時間: 10分


アマとプロの垣根---後篇
先回は、アマチュアレスリングの強豪選手を輩出している米国・オクラホマ州において、ディック・ハットン、ダニー・ホッジと並び称されるレジェンド・上武洋次郎氏について触れた。オクラホマ州立大(OSU)に1964〜66年の三シーズン在籍、途中東京オリンピックでの金メダル獲得を挟み、フリースタイル・バンタム級において57勝0敗という驚異の戦績を記録した上武氏は、そもそもなぜ同大に籍を置くようになったのか? 2012年に刊行された「日本レスリングの物語」という本の中で、OSUと日本の縁が詳らかにされている。以下、本編で記すことの多くが本書及び、同じく2012年発売のFight&Life誌(Vol.31)からの引用であることを、予めおことわりしておく。 「1964年のジャイアント馬場」「1976年のアントニオ猪木」「1985年のクラッシュ・ギャルズ」を著した柳澤健さんの快作。嘉納治五郎の秘書だった八田一郎が講道館から独立して、日本にレスリング競技を根付かせるまでの黎明期と東京五輪で大輪の花を咲かせるシーンが特に読み応えあり。妙な喩えだが古事記に代表される日本神
Satom
2025年7月1日読了時間: 9分


御礼★アントニオ猪木を語り継ぐ伝承の会・関西特別講演会にご参加頂き有難うございました。
この6月7日(土曜)開催しました“アントニオ猪木を語り継ぐ伝承の会(関西特別講演会)に多数ご参加頂き本当に有り難うございました。 みなさまのおかげをもちましてトークイベントも大いに盛り上がりました。関西在中の猪木ファンにおいて、どうしても関東で開催される猪木関連トークイベントに参加したくとも日程、休みの都合、交通費などの問題でやむなく諦め気味でした。そんな中、関東で定期的に開催されているいる伝承の会、主催者である舟橋慶一氏より、一度関西でやってみようとの相談を受け、日程、舟橋氏の体調,など加味しながら今年の2月における猪木啓介氏IGF社長就任パーティにおいて、6月7日の開催と決め、約4か月の準備期間を経てなんとか開催に漕ぎつけました。 多くのアントニオ猪木ファン、そしてあの時代、舟橋氏の実況を聞き入りテレビプロレスを見ていたファンが懐かしさやあの当時の秘話を聞きたく集まって頂き、久々、大阪での猪木祭りとなりました。 又、特別ゲストの河内家菊水丸氏の軽快なトークにより1995年にアントニオ猪木氏の意向に同調され北朝鮮平和の祭典に参加された時の興味深
Toshiyuki Fujii
2025年6月25日読了時間: 3分


アマとプロの垣根
"プロのレスラーなら誰しも、マット上で敵と対峙する勇気がある者に対して、大いなる尊敬の念を持ち合わせている。勝敗は関係ない。 一方でリングに上がる者が、プロレスをアマの延長として捉える事は決してない。それらは全く異なるものだ。プロレスラーも、アマレスラーもそして(確信には至らなくても)ファンもその事を承知している。別にプロがアマを見下すようなこともない。ただ競技(competition)とエキジビションの違いを認識して、それぞれを楽しもうとするだけだ" 上記コメントは、以前何度か紹介したジャック・ブリスコの自伝(口述筆記)「BRISCO」からの抜粋である。 ブリスコは同書の中で、アマチュアの頂点を極めることと、プロの世界でトップに立つことは全く異なるものであると再三強調しているが、一プロレスファンたる私の理解もほぼ同様であった。 その意味で、少なからず驚いたことが二つある。私の認識不足で事実関係をわきまえていなかっただけの事だが、目から鱗の思いであった。 一つは、永年テレビ朝日のプロレス中継「ワールド・プロレスリング」を担当されていた往年の名ア
Satom
2025年6月21日読了時間: 5分


アメリカン・ドリームの原像と原罪
1970年代後半から80年代前半にかけて、米国内で最高の人気を誇ったレスラーは誰か? 当時リアルタイムで雑誌、テレビなどを見ていた世代であれば、割と迷わずに答えるような気がする。出てくる名前は、やはりダスティ・ローデスだろう。 一世代前の超人気レスラー、ブルーノ・サンマルチノがイタリア系アメリカ人からの絶大な支持を得ていたのに比べると、ローデスの場合は特定のエスニック・グループに限らず、幅広い支援層が 広がっていたように思う。 かつてアメリカのプロレス雑誌にはレーティングス欄が設けられていた。各タイトルへのコンテンダーをはじめ、人気・不人気が一目瞭然となるなかで、ローデスは常に人気部門の上位を占めていた。上は1977年、下は1983年のレーティングスより抜粋 1960年代末のデビュー以降数年間は、ディック・マードックとのテキサス・アウトローズに見られるようなヒール役が定番だったローデスだったが転機となったのは1974年5月14日、フロリダ州タンパで行われたタッグマッチだった。 プロモーターのエディ・グラハムと息子マイクの親子チームと対戦したローデ
Satom
2025年6月15日読了時間: 6分


パパは喧嘩屋&シューター
今年のWWE 殿堂入りメンバーに、ドリー・ファンク・シニアがジャイアント・カマラ、イワン・コロフと共に選出された。ファンク兄弟は揃って2009年に栄誉を受けており、息子達から16年遅れての快挙となる。セレモニーの様子は動画で配信され、会場にはテリーの娘さん二人(ステーシィ、ブランディ)も姿を見せていた。テリーが生きていたらさぞ喜んだことだろう。 亡くなったのが1973年6月3日なので、日本風に言えば3年前が「50回忌」だったことになる。自宅の牧場「フライング・メア・ランチ」でレスラー仲間を招いてのバーベキュー・パーティーのあと 余興のレスリングに興じた事が災いして心臓麻痺を起こし、アマリロの病院に向かう車中で息を引き取ったと言われている。 相手は当時アマリロ地区に参戦中だったゴードン・ネルソンとレス・ソントンだったというが、いずれも本物の強さを持ったレスラー。酒の入った状態で、シニアが顔を真っ赤にして、強豪二人を立て続けにねじ伏せた、というのが最後の武勇伝となってしまった。 当時54歳にしてそのような「無茶」をするくらい シニア自身、自らの腕には
Satom
2025年6月6日読了時間: 7分


美獣の五十七日
五月は新緑が本格的になるほか、天候も変動が多い。月初めはまだ肌寒いが、月末には汗ばむ陽気に加え湿度も上がり、梅雨の気配が漂ってくる。 変動といえば、世界最高峰のNWA世界王座を 四年以上にわたり堅守していたドリー・ファンク・ジュニアが敗れる、という波乱のニュースが伝わってきたのは、ちょうど日本の気候が大きく移り変わるこの時期、1973年(昭和48年)5月末の事であった。 新王者は"ハンサム"ハーリー・レイス。ジュニアの初来日時にポリスマンとして同行していた事もあり、ファンク一家の番頭格的な印象が強いが、米国ではジュニアの王者時代に互いの地元(テキサスと、アイオワ・カンザス・ミズーリ三州に跨る中西部)を舞台に何度も対戦、レイスがホームリングのカンザスシティで奪取に成功した時は、16回目の挑戦であった。 タイトル戦における両者のそれまでの対戦成績は、ジュニアの11勝4引き分け。この記録を見る 限り「第一コンテンダー」というイメージは薄いが、地元ではセントラル・ステーツ・ヘビー級のベルトを腰に巻いており、更に前年の1972年に新設されたミズーリ・ヘビ
Satom
2025年5月30日読了時間: 8分
お問い合わせ先
伝昭プロジェクト
Eメール: doryfunkjr69@gmail.com
事務局
TEL: (075)285-2403 (WWPクラブ)
〒607-8341 京都市山科区西野今屋敷町27-6
Eメール: rilygymkyoto@gmail.com
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